初めての就職活動の思い出

 前にもちょっと書いたけど、僕の生まれて初めての就活体験について。

 8年前。場所はネバダ州、リノという小さな街。留学してアート学部の陶芸彫刻学科を卒業したは良いけれど、僕はあらゆる就職のツキから見放されていた。というよりも、まぁ、アートを専攻しようと決めた時から、就職は難しいだろうなとは覚悟していたのだけど、いざ現実を目の当たりにすると、戸惑うというより、むしろ笑ってしまう。
 
 大学の、就職活動を担当するオフィスに面談に行った時のこと。担当官の第一声は、「陶芸彫刻専攻の学生には、斡旋できる仕事はないですよ」だった。その後、学部の教授を片っ端から捕まえて相談をしても、勧められるのは大学院への進学だけ。何を血迷ったか、高校生の就職カウンセリングにまで行ったけど、もちろんまるで収穫無し。唯一、なんとか知人の紹介でカジノのスロットルマシーンをデザインしている会社の面接を受けることになったのだけど、その時点でようやく「この街で、自分の思い描くような仕事に就くことは無理だ」と気づいた。
 
 個展で作品を売り、家財道具から陶芸作品まで売れるものは全て売り払って金を作り、ようやく職探しの旅を始めたのが卒業から2ヵ月後。まず、知人の紹介でサンディエゴのデザイン事務所に行ったが、「要経験」とのことでほとんど門前払いの体で追い払われ、すぐにロサンゼルスへ。リトル・トーキョーに程近い、一泊20ドルの安ホテルに住み、就職活動を続けることとなった。
 あまりに安いホテルだったため、風呂・トイレが共同なのはもちろん、部屋に電話もついていない。しかし、就職活動にはどうしても電話連絡先が必要だ。どうしたかというと、ロビーにある公衆電話を連絡先番号に使った。つまり、こういうこと。
 
 ロビーの公衆電話のベルが鳴ると、近くにいる宿泊客が電話を取る。
「もしもし、○○ホテルです」
「あ、そちら8号室のTOMAKIさんお願いします」
「はい、しばらくお待ち下さい」
 ロビーの客は廊下を歩いて、うちの部屋へ。
「TOMAKIさん、電話です」
「あ、すいません。今行きます」
 ロビーに行き、電話に応える。
「お待たせしました、TOMAKIです。その後面接の件ですが……」
 っていう感じ。
 
 コネもツテもなく、「とりあえずでかい街に来れば仕事も見つかるだろう」っていう安易な考えで、とにかく自分のポートフォリオだけを頼りにロサンゼルスで仕事を探し続けたのだけど、社会人未経験の外国人で、しかも一年限定の就労ビザしか持ってないとなると条件はかなり厳しい。その上、気合を入れるために三年間伸ばした長髪をいきなりスキンヘッドにしていたし、スーツを買う金がなかったから穴の開いたジーンズ姿だったし、食事代浮かすためにあまり食べてないから顔色悪いし、片耳ピアスで身長185センチの東洋人が目だけギラギラさせて、でっかいポートフォリオ担いで面接に行ったら、そりゃぁ相手もビビルよなぁ。仕事が見つからなくても、当然……か?
 今から考えると、「若かったなぁ」と思う。若かったから、あんな無謀で突拍子もなく、わくわくする体験ができたのだと思う。
 
 ある日、いつものように門前払い覚悟で「油絵教師」の就職面接に行き、ポートフォリオを見せたところ、「うちでは雇えないけれど、知り合いのデザイナーが人を探してるから、紹介してあげられるかも」と言われ、そのままとんとん拍子に話が進んで、「フォトグラファー」として宝石デザインの会社に勤めることになった。それから約一年間、ロサンゼルスダウンタウンのど真ん中で、毎日あらゆる種類の宝石を広告用に撮影し、パソコンでリタッチする仕事を続けた。
 
 そして、そこでの経験と知識が、その後のWebデザイナーとしての今の自分に直接つながっている。
 
 人生って、面白いなぁと思う。めちゃくちゃに進んでいるようでいて、なんかどこかでつじつまが合っている。
 高校時代に突然留学を決意したところから始まって、英語を学び、大学でアートを学んだこと。その後ロサンゼルスで広告の仕事をし、帰国後のプロバイダー勤務、パソコンインストラクター、そして、Webデザインの仕事、と。
 
 この先、どんな縁があって、どんな人生を歩むかはまだ分からない。
 ただ一つ言えるのは、今後も自分の人生を楽しみつつ、かつ真摯に生きたいと思っている。月並みな言い方だけど、「たった一度の人生だから、後悔はしたくない」
 
 どんな未来が待ちうけているのか、今から楽しみだ。
by t0maki | 2006-02-27 13:36 | 乱文・雑文 | Comments(0)