金魚の絵と星空の思い出
2026年 06月 20日

昨日の金魚に描き足してきた。まだ描きたかったけど、時間切れ。もうちょい描きたかったが、また参加しにいく?
都会の洞窟と、星空。そして、壁画。


「エソラゴト」のプラネタリウムを観たあと、以下のような小説風エッセイを書いて、私のメルマガに投稿しました。
* * *
日比谷の高架下につくられた「都市洞窟」で、私はプラネタリウムの星空を眺めていた。それは明らかに誇張された人工の星空だった。都会の夜空には、ちらほらと星が見えるだけである。それも意識して探さなければ見つからない。普段は、そこに星があることさえ気にせず暮らしている。
「こんなに星があるものかね」
そう思ったとき、ふと記憶がよみがえった。私はこんな夜空を見たことがある。それも二度も。
ひとつはネバダの砂漠だった。当時通っていた大学のあるリノという街から車で四十分ほどのところにある、ピラミッドレイクのほとりで迎えた夜である。街の灯りはなく、見渡す限りの闇が広がっていた。日が落ちてから空を見上げると、言葉を失うほどたくさんの星があった。
天の川の存在感は、まさにミルキーウェイ。空にしっかりとその存在感を示している。星と星のあいだにも星があり、空に隙間が見当たらない。流れ星も何度か見えた。しばらく眺めていると、ゆっくりと頭上を横切る光があることに気づいた。それは人工衛星だった。
とにかく、こんなにもたくさんの星が存在することに驚いた。そして、それを肉眼で見られたことにも。
もうひとつはカナダのホワイトホースだった。十二月、オーロラを見るために訪れた。気温は零下三十度近くまで下がり、雪原は驚くほど静かだった。吐く息の水分がまつ毛に絡まって凍り、瞬きがしづらいほどだった。
オーロラももちろん素晴らしかったが、私にはそこで見た星空も鮮明に記憶に残っている。防寒具を脱いだら命が危ないほどの環境で、雪原に寝転びながら見た星空。凍りついた空気の中で、星々は鋭く、硬質な光を放っていた。砂漠の夜空とはまるで違う景色なのに、不思議と同じものを見ている気がした。
砂漠と雪原。乾いた大地と凍てついた大地。何もかも対照的なのに、頭上に広がる無数の星は同じように畏敬の念を抱かせた。そう、私は感動よりも先に、恐ろしさを感じたのである。
星が多すぎる。
普段見慣れた夜空なら、人は星座を探したり、明るい星を数えたりできる。しかし本当に暗い場所の夜空は違う。あまりにも情報量が多く、人間の理解が追いつかない。宇宙の広さそのものが、こちらへ迫ってくるように感じられる。その星空のカオスに耐えられず、私は無意識のうちにそこへ星座を描いていた。そこに物語をつくることで、その常識を超えた星空を理解しようとしていたのだ。
都会の洞窟でのプラネタリウム鑑賞が終わり、私は外へ出た。見慣れた風景が、少しだけ違って見えた。
by t0maki
| 2026-06-20 00:00
| アート
