南千住のお寺

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円通寺、回向院、そして延命寺。
かつて江戸の外れにあった小塚原。都市の拡張によって東京都心の近代化に飲み込まれつつも、かつての「際(きわ)」の名残りがある。

まずは、円通寺から。延暦10年(791)に開かれたという、曹洞宗のお寺。境内の「黒門」には、彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争の弾痕が残っている。上野にあったものをこちらに移築したそうだ。そして、彰義隊の遺体を埋葬して供養したのもこちらのお寺。
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続いて、回向院へ。ここはもと刑場で、解体新書をつくるきっかけになった「腑分け」の公開解剖が行われた場所。それを記念して解体新書の表紙をレリーフにした「観臓記念碑」がある。吉田松陰や橋本左内といった安政の大獄で刑死した人たちのお墓の他、「毒婦」と云われた高橋お伝や、大名屋敷を狙う泥棒だった鼠小僧こと次郎吉のお墓などもある。
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そして、延命寺へ。回向院と延命寺はもともとひとつのお寺だったようだが、鉄道敷設の際に南北に分断されたため、南側部分が独立して延命寺となったようだ。3.6メートルの首切り地蔵がある。この巨大なお地蔵様、2011年の震災で石のつなぎ目が大きくずれて、しばらく本当に首切り状態だったが、いつの間にか修復されていた。

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日曜日の散歩。

by t0maki | 2024-11-17 11:35 | Comments(0)