「声」を聴く、そして書く
2024年 08月 22日
「自分の声で伝える」こと、そして「自分の声で生き方を選択すること」について探求するトークイベントに参加。登壇されたのは、『自分の「声」で書く技術』の監訳者、岩谷聡徳さんと『世界を配給する人びと』の編著者、アーヤ藍さん。
会場は、恵比寿にある英治出版。いくつかのご縁が繋がって、なんとなく導かれるようにここにたどり着いた感じで。こういう時って、きっと素敵な出会いや学びがあるんですよね。今回も、まさにといった感じで。来てよかった!
『自分の「声」で書く技術』に書かれている「フリーライティング」に初めて出会ったのは、僕が留学の準備のために英語を徹底的に学んでいた頃。自分の頭の中に浮かんだ言葉を片っ端からそのまま文章にしていくっていうこの書き方を教えてくれたのは、当時英作文(English Composition)の先生だったアメリカ人の先生。授業が終わったら図書室のパソコンを使って、交換日記のような感じで先生に文章を読んでもらってました。
留学した後もちょくちょくフリーライティングのスタイルで書いてましたが、一番没頭して書いていたのが大学を卒業するあたりから、ホームレスになりかけながらアメリカ西海岸を放浪してた頃と、なんとかロサンゼルスで仕事を始めたあたりまで。社会人になって、学校の宿題や課題から解放されたら、意外と仕事をしながらでも書く時間ができたので。
仕事が見つからない不安とか、見つってからも将来が見えない不安もあり、書くことで気を紛らせていたというか、自分を鼓舞するために書くというか。書くことで、ぐちゃぐちゃになってる頭の中を整理して、解きほぐすみたいな感じ。
今回、30年越しに『自分の「声」で書く技術』を読み、フリーライティングのその先があることを知りました。書いた文章を編集し、醸成させるグローイングと、さらに調理して昇華させるためのクッキングと。
そんなわけで、ここ最近改めて四半世紀前に書いた自分のフリーライティングのノートを引っ張り出してきて、OCRやら生成AIやらを組み合わせて、当時の文章を新しい形でnoteにまとめるという遊びをしています。
今回のトークイベントで、ふたつの本に共通するのは「声」という表現。ここでの声とは、音声としての声ではなく、もっと広い意味での「ことば」に近いかも。自分の中の言葉を見つける。あるいは、遠い国と関わっている人たちの言葉に触れるということ。
言葉にして誰かに伝えたり、文章に書くことで、自分の中の声が明確になり、さらに誰かの声が届く。自分は、昔から本を読むことが好きだし、書くのも苦にならない。こういった、「声」を伝えたり聞いたりするのが好きなんだなと思った。言葉や、そこから生まれる対話が好きなのだ。
言葉だけじゃなく、アートにも伝えたい「声」がある。むしろ、アートこそ言葉を超えた対話なのかもな、とか思ったり。作家と、鑑賞者との。
などなど、今日もフリーライティングスタイルでイベントの感想を帰りの電車で書き綴ってますが。もうすぐ降りる駅。
良いイベントでした。その場所も、そこに集まった方々も、そこで交わされた「声」も。
by t0maki
| 2024-08-22 21:14
| アート>もの書き
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