採血中に注射器を見るか見ないか
2024年 01月 29日
採血をする時、注射器を見るか、あるいは見ないかという問い。私は、見る。
シリンダーの中に勢いよく赤黒い血液が噴出するのを目にすると「あぁ、この体は生きているのだな」と思う。心臓が止まってしまったら、こんな風に血は出なくなってしまう。この小さなシリンダー四本分の、私の生命。
今日は病院で検査。11月初旬からお酒の量を減らしていて、ここ1ヶ月は一滴もアルコールを飲んでいない。それが、今回の検査の結果にどのように影響するだろうか。結果が良くなっているなら今後お酒の量は減らすし。関係ないのであれば今後も飲み続けるだろう。
診察室の前で、順番待ち中。ふと、昨日見た映画のことを思い出す。僧侶の脳と、苦痛との関連性。
一般の人と僧侶の脳を比較する科学実験が、ドキュメンタリー映画『ミッション・ジョイ』で紹介されていた。ウィスコンシン大学マディソン校の、リチャード・デビッドソンさんによるもの。
それによると、僧侶の方が痛みなどのストレスに対する耐性がありそうだ、と。
手首にお湯を通すチューブを装着し、脳波を調べる。
一般の人は「熱いお湯が流れますよ」と伝えられだけで脳が反応してしまう。僧侶は、実際に熱さを感じてから脳が反応した。細かいところは違ってるかもしれないが、だいたいそんな実験。
普通の人は、痛みを想像しただけで反応してしまう。それは多分、日常の危険を察知する上で重要なことだと思う。一方で僧侶は、危機の直前まで冷静でいられる。この違いは、苦痛に耐えるための修行によるものかもしれないし、あるいはその人の特性かもしれない。どちらが良いかは、一概には言えない。しかし、常にストレスにさらされて脳が緊張状態にある人にとっては、このようなリラックスの仕方は必要だと思う。そんかわけで、マインドフルネスで自分の心を見つめるというようなことが注目を集めているのだろう。
僧侶が持っている痛みや苦しみなどのストレスに対する耐性は、マインドフルネスも有効だが、それだけではないと思う。そもそもの、苦痛への耐性はいろいろな修練や学習、経験が積み重なって得たものだと思う。
なんてことを考えつつ。診察の順番はまだ来ない。
by t0maki
| 2024-01-29 09:26
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