小川町へ向かう電車の中で

小川町へ向かう電車の中で_c0060143_12332307.jpg

小川町へ。こんなに遠かったっけ?自宅から2時間かかるんだな。

10代の頃、長瀞から新宿まで通ってたことがあった。往復5時間。学校の宿題などは、全て電車の中でやってたよ。

寄居から池袋まで、東上線の端から端まで乗って、さらに秩父線とJRも。留学準備のため、1年間だけの学校だったら、一人暮らしをするまでもない、と。で、毎日5時間の通学。

あれから29年経って、今日は東京の方から東上線に乗る。車両は随分と新しくなって、座り心地が良い。以前とはだいぶ違う。

というわけで、今日は1時間、この東上線の電車に乗ります。

なんだかね。最近こうやって、29年前の自分を思い起こすことが多い。

* * *

UNRJっていう学校。アメリカのネバダ州にある州立大学の日本校なんだけどね。日本でもアメリカの大学の単位が取れるという。ただ、卒業単位が全部取れるわけではないので、どちらにしても途中からアメリカにトランスファーしないといけないのだけど。だいたいみんな、1年間ここで勉強してから、アメリカに移っていく。僕もそう。

University of Nevada, Reno-Japanの頭文字を取って、UNRJ。僕らが卒業した後、州立大学との提携は無くなって、その後は留学準備のための英語専門学校となって、今でも続いている。なので、僕らはUNRJの6期生にして最後の卒業生。その後、僕はリノにやってきて、そのまま大学卒業までそこで学ぶことになる。

なので、その新宿の学校に通っていたのは、1992年から93年にかけての1年間だけ。その1年間の思い出が、最近やけに蘇ってくる。

ICUで開催された先住民がテーマのシンポジウムで、アイヌ語教室の講演を受講したこと。なんと、その時の先生に今年再会した。まったく、名前さえも覚えてなかったのだが、今年の夏の終わりにたまたま実家に帰った際にその29年前の講義の資料を見つけて、なんとなく東京に持ち帰っていたことから、その僥倖について気がつくことになった。まったく、すごい偶然だな、と。でもなんか、導かれているようでもある。

サッカーのW杯もまた、この29年のインターバル。ドーハでの、ドラマチックな試合。1993年と、2022年。

で、その流れで先日、高崎にある山田かまち美術館を訪れた。そこも、29年前に、10代最後の年に訪れている。その後も何度か訪れてはいるけど。29年前の自分を見つめる体験。

日本校時代。自分にとって、特別な一年だった。往復5時間の通学時間もそうだけど、ひたすら英語を学ぶという。まだその時点で僕は、海外に一度も行ったことがなかった。そして、学校以外で英語を喋ったこともなく。なんなら、高校で学んでいた受験のための英語の勉強は大嫌いだった。定年間際のおじいちゃんの先生がひたすらカタカナ英語で文法を教えるという授業をずっと受けていて、「こんなんじゃ絶対に英語が喋れるようにはならない」と思ったらなんか悔しくて。そのせいで、留学を決意したというのもある。英語でも、中国語でも良いから、とにかく外国語を身につけて日本を外から見てみたいと思った。どこの国でも良かった。たまたま、その新宿にその日本校があったから入ってみただけ。ホント、どこでも構わなかった。

なんか、演劇をやろうとして、脚本を書いた。みんなでやる予定が、結局それはうまくいかなくて、劇場空間を借りたのだけど上演するまでは行かず、結局配給会社から映画を借りて上映するだけで終わった。まぁ、それはそれで良い経験だったけど。

で、上映が終わった後、その映画のフイルムを返却するために、僕は渋谷駅に降り立った。乗り換えのためだったと思う。そこで、学生向けの街頭アンケートをしてたので、普段は絶対に無いのだけど、なんとなくその日は誰かと話がしたい気分でもあったので、そのままアンケートに回答して、その流れでなにやらその人たちが集まるサロンのようなところへついていった。

今だったら、あきらかにあからさまに怪しいし、それが危険な行動だったというのはわかる。けどその時は、とにかく誰かと話をしたかった。その学生向けのサロンのような場所は、渋谷のマンションの一室だった。中に入ると、学生が何人もいて、それぞれお茶を飲みながら会話をしてる。取り止めのない話。尾崎豊の歌についてとか、あるいは映画についてなど。

その後、何度か立ち寄るようになった。学校のクラスメイトから、「それって、やばい団体なんじゃないの?」と忠告されることもあったが、あまり気にしていなかった。実際に、そのサロンにいる人たちに直接聞いたことがある。「なにか、宗教と繋がっている集まりなのですか?」と。その時の回答は「いいえ、宗教団体ではないです」という回答だった。

もしそこで、その人たちが正直に回答してくれていたら、僕はもう少しそこにいたかもしれない。結局そのサロンは、とある宗教の学生団体であることが後になって知らされ、それきりそこへは行かなくなってしまった。

とても、ノリが合う、素敵な人たちだった。その人たちと会話をするのが、いつも楽しかった。あの時、嘘ではなく、最初から正直に全てを伝えてくれていたら、僕はもっとその人たちと一緒にいれたかもしれない。心を許していた人から嘘をつかれたというのは、当時の僕にとってはとても傷つく出来事だった。

なんだも言うけど、僕はそこにいる人たちがとても好きだった。いろんな体験をしてきて、心に傷があったりトラウマを抱えつつも、それを乗り越えようと日々頑張っている。みんな正直で、心が広くて寛容で、他人に対しても優しい。そう言う人たちに囲まれて、なんとなく自分は居場所を見つけたような気がしたものだ。

やがて、その集まりがとある宗教の学生団体であることを、知らされ、僕はその居場所と仲間を失ってしまった。今でも時々、あのマンションの一室のことを思い出す。そこにいた人たちのことも。

残念ながら、僕はその宗教を受け入れることができなかった。努力はしてみたけど、やっぱりダメだった。

僕は、宗教というものを否定はしない。信仰の力を信じるし、神という存在を感じることもある。ただし、自分にとっての神は特定の人物ではなく、人間の力や叡智を超えるものは全て神になり得ると思っている。ものすごく美しい景色や体験に出会った時、僕は神の存在を感じる。ただしそれは、特定の擬人化された存在ではなく。人間の心の中にある、偉大なものへの敬服であったり、畏怖であったり、あるいは憧れであったり。そこに、神という言葉を当てはめるのは、しっくりくる。なので、僕が考える神は、あなたの神とは違うかもしれない。でも僕は神を信じるし、同時にあなたが信じる神も尊重する。

10代の終わりに、そんなわけで宗教について考えたり語ったりする機会があり、そのおかげで今でも僕はサンタクロースを信じている。もちろん、奇抜な色の服を着た髭の長い白人のキャラクターのことでははく。親が子を思うという気持ち。お父さん、お母さん、そして大人たちが子供に夢を与えたいという気持ちが、世界中でクリスマスのプレゼントとして現れる現象そのもの。それが、サンタだと思う。子供向けに、擬人化されたサンタのキャラはわかりやすいけど、実際にはそれぞれの家庭で大人たちがプレゼントを考えて、渡してる。それが、サンタの本当の正体。それで、良い。それが、サンタなのだから。

擬人化された神様も、わかりやすい。それを信じるのもまったく問題ない。でも、擬人化されない、この世に現実に存在している神という概念を信じるのも良いのではないか、と。そして、神は一人である必要もなく、信じる人にとって様々で良いのだとも思う。

セレンディピティや僥倖を、アイヌでは「トゥレンカムイ」という神様の仕業であるとする考え方も、素敵だと思う。実際に、僕のぼんのくぼにその小さな神様がいるとうのはファンタジー的なたとえ話として、ただ、自分がこれまでとってきた行動や、選択肢が、そういう無意識の中でなにかに導かれるように繋がりをもって実現してきたというのは感じる。無意識の、自分の選択。いろんなつながりと、きっかけ。それをつかさどるもの。

人間の意識とか、知識とか、感覚なんて本当に限られている。その中で、それを超えるものを感じるし、それは確かにそこに存在する。

この29年間の出来事の中にも、そういうものを感じるし、それがあるからこそ、今ここに僕は存在するのだな、と。

by t0maki | 2022-12-10 12:33 | Comments(0)