引き続き、日記について #1日1記事P

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日記について調べたり考えたりしていくなかで、結局のところ「なぜ書くのか」というようなところにいきつく。
なぜ日記を書くのか。

誰かに読ませるということでもなく、かといって完全に誰からも読まれないのは寂しいと思ったりするかもしれないが。読まれないかもしれない文章を日々重ねていく。
なぜ?

習慣性。ライフスタイルということ。つまりそれは、自分という存在を形成するものの一部であるということ。
日記を書くという習慣。性質。

アイデンティティの一部というような。社会と時代、文化につながるための、手段か?
自分がここにいる、ここにいたという、足跡。

出版される日記もある。文学者の日記などは、博物館に収蔵されたり、書籍化されたりもするが。
ほとんどの日記が、ただ紙面を埋め尽くした文字の羅列としてそのまま消えていく。

日記を書く文化を定着させたのは、学校?教育?だとしたらなんのため?

分かりやすいのは、戦争中の日記。明らかに戦争脳となった子どもたちの日記。
お国のために、兵隊さんを応援しましょう、と。

どうやら、日記文化の根源が「軍隊手帳」にあるんじゃないかというところまでたどり着いた。
戦時中、兵隊さんが身につけていた手帳。自分の身分証証書であり、覚えるべき訓告が書かれており、そこに常に書き足していく。記憶するべき、覚書。軍人の心得。

軍服が学ランとセーラー服になったように、軍隊手帳がそのまま生徒手帳になった。
同じように、制服を着た警察官と、警察手帳の組み合わせ。

「手帳」を期限とした、日記の文化。
ログ、ジャーナル、アーカイブ。

文章で、日々の出来事や食べたもの、お金の出し入れなどを記録していく。
学級日誌、宿直日誌、業務日誌。
家計簿、出納帳、経理台帳。
読書日記、映画鑑賞記録、感想文。
観察日記、子育て日記、介護日記。
闘病記、自伝、回顧録、夢日記。
献立日記、体温記録、歩数記録、体重・カロリーの記録。

意識して記録するものがある一方、無意識にデータがたまっていくものもある。
とある意図で記録していたものが、別の用途で活用されることもある。
ビッグデータ?センシング技術。ライフログ。

先日、銀座の伊東屋で日記と手帳の特集コーナーがあったので、しばらくそこをブラブラしながら、いろんな日記や手帳を眺めつつ。そこに来るお客さんの様子を観察していた。日記を書いていそうな女性とか。あるいは、カレンダー付の手帳を眺めるビジネスマンなど。働く人のためのビジネス手帳と、趣味の記録としての日記帳。

書籍化された日記としては、文学史にいくつか日記作品があったりするが。
自分が知っているのは高野悦子さんの『二十歳の原点』だ。24歳の時に、友人の形見分けとしてもらったもの。今も手元にある。
昨日、アイヌの文化について学ぶ会に参加した時、気になる日記についてメモをした。後で読んでみよう。
ドナルド・キーン氏についても調べてみよう。日記から情報を収集していた人物。

日記についての団体も、調べてみよう。
情報をただ記録するログと、思いを文字で絡めとる日記と。
個人的なダイアリーと、オープンな媒体としてのジャーナルと。
教育の一環か、あるいは組織をまとめるためか。個人の記録と、それが集積した時の情報の価値と。

引き続き、日記というのは面白いテーマなので、考えたり調べたりしていく。
もちろん、このWeb+Logのブログという文脈でも。


by t0maki | 2022-10-24 18:46 | アート>もの書き | Comments(0)