なぜつくるのか #1日1記事P
2022年 10月 20日
3331 Arts Chiyodaで開催された平田哲朗さんの個展「芸術か科学か」の設営と搬出をボランティアとしてお手伝いした。もともと私は大学でアートを専攻しており、卒業後ウェブ制作の道へ進んでからも「日曜アーティスト」を名乗って趣味の創作活動を続けている。2020年から東京ビエンナーレのプロジェクトのひとつである「優美堂再生プロジェクト」に参加し、美術展の設営・施工を行う「インストーラー」という仕事に興味が湧いて、いろんな現場を見学させてもらったり、少しだけお手伝いなどをしている。
そんな中、Facebookで平田さんのなにやらとんでもない作品の一部を拝見していたところ、「設営ボランティアしませんか」というメールをいただいたので「はいはい、やります」と、飛び込んでみたというわけ。
4tトラック2台で運ばれた作品が3331に到着した日の夜、初めて実際の作品を拝見しましたが、ものすごい迫力。「これを15年かけてたったひとりでつくったのか!」と、度肝を抜かれました。
最初から完成形が見えていたわけではなく、少しづつ試行錯誤を繰り返しながら作り続けていったら、こういうスタイルに落ち着いたようです。最初は鉛筆やストローを繋げて立体を組み立てていたものが、リングと結束バンドになり、そこからさらに荷物を梱包する際に使われるPPバンドをハトメで繋ぐというものから、最終的に融着器で留めるという形に落ち着いたようです。小さな円をたくさんつくり、それを延々とつないでいく作業。円形、テトラポッド型、ドーナツ型、螺旋形など、さまざまな形の作品が生み出されました。
それにしても、この量!いったいどのくらいの時間を費やして、作られたのだろうか。
* * *
設営しながら、この膨大な量の作品に触れて、ふと自分も子供の頃に似たような経験をしていたことを思い出しました。
ある日、小学校で「立方体をつくる」という課題が出ました。みんなに厚紙が配られて、生徒たちはそこに展開図を書き、切って、貼って、箱をつくりました。
僕はその作業がいたく気に入り、最初は友達と一緒に作っていたのですが、だんだんそれが止まらなくなり、気づけばひとりで机の中びっしりになるくらい大量の「箱」をつくり続けました。
なにか、目的や狙いがあって作っていたというわけではなく、ただなんとなく作りたいという衝動のまま。作るという行為自体が面白くて、休み時間などにひたすらずっと作り続けていました。もちろん、誰に頼まれたというわけでなく、売ったり、展示することもありません。ただ、作るという行為が心地よく、友人から余った厚紙をたくさんもらって、ただただ作り続けました。
まぁ、子供の興味の範囲内でのことなので、やがてそれにも飽きて、その次は理科実験の黒い紙を虫眼鏡で焼くことに興味が湧いたり、竹刀で竹蜻蛉をつくったり、ひたすらよく飛ぶ紙飛行機を作るなど、興味の対象はどんどん移り変わっていきましたが。今でも、たまに箱をつくったりします。なんか、展開図が好きなんですよね。あの時の、小学校時代の体験がなんらかの形で残っているのかもしれない。
7月に、平田さんの個展が開催されたのと同じ3331のメインギャラリーで、キッズ向けの工作ワークショップを担当しました。藤浩志さんの、おもちゃが集まる「かえっこ」のアートプロジェクトに参加する形で。平田さん、藤さん、そして3331と中村さんなど、いろんな人や、場所が繋がっているな、と。
* * *
ギャラリー空間の壁面に平田さんの作品を展示するにあたって、「さて、どう配置しようか」と悩みました。どっち向きに見せたらよいのだろうか。正解を聞こうにも、これをつくった平田さんはもういません。なんとなく、盆栽のことを思い出しました。盆栽には「こちらに訴えかけてくる向き」というのがあるのですね。イメージ的には、「盆栽がこちらに向かって両手を広げてアピールしてくる」というような向きです。それを平田さんの作品にも感じることができないか、と、いろんな方向から眺めてみたのですが、そもそも上下が分からないのでそれは諦めました。
ギャラリーに作品を展示する際は、だいたい140cmあたりに中心が来るように設営するのが良いそうです。もちろん、会場や作品の内容、来場者によっても変わってくるとは思いますが。今回は、その140cmというのを高さの目安にしつつ、全体のバランスを見ながら、連続して流れるような感じで作品が鑑賞できるように試行錯誤しながら壁にビスを打って作品を固定していきました。作品の一部は日焼けによるものなの少し色が変わっている部分もあります。上から照明を当てるので、色が変わっている部分はなるべく下向きにくるようにしました。作品の中には、マトリョーシカのように大きな作品の中から小さな作品が出てくることもあります。その場合は、天蚕糸(てぐす)を使ってぶら下げてみたり。
そんな感じで、結構マジメに慎重に作品を並べていたら、中村政人さんがやってきて、「おー、いいね。こう、ぐわっと上の方にあったりしてもいいね」とおっしゃられたので、「あー、それもいいな」と思い、中心線から離れたところにもテトラポッド型の作品を壁に設置しました。
展示をお手伝いする人の中に、東京ビエンナーレ2020/2021の出展作家さんでもある栗原良彰さんもいらっしゃって、一緒に棚をつくったりもしました。平田哲朗さんの奥様、平田淑江さんがてきぱきと会場を取り仕切って。さらに藝大の小沢剛さんが学生さんたちを連れていらっしゃってたりもして。もちろん、中村政人さんや、私が設営した翌日には藤浩志さんも設営に参加され、展示が完成。私と同じく、ボランティアで参加された方もいらっしゃいました。こんな空間でお手伝いができたことが、とても幸せです。
会期中に展示を何度か訪れ、トークイベントも視聴し、最後に搬出の作業もお手伝いしました。
優美堂がきっかけで身につけた施工のスキルが、こういう機会に少しでもお役に立てたとしたら、とても嬉しい。
つくり続けるということはその人の「タチ」なのだということを、以前中村さんと藤さんのトークセッションで聞いたことがあります。性質の「質」と書いて、「タチ」と読む。きっと平田さんは、この多面体をつくり続けることが生活に染み込んだ「タチ」なのだったと思います。誰に依頼されたわけでもなく。ただ、つくりたいという衝動があったからつくり続けてきたという。そこにすごく共感します。そして、憧れます。
私も「日曜アーティスト」として、死ぬまでつくり続けたい。
by t0maki
| 2022-10-20 12:16
| アート
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