映画の神話学を読んでみたけど途中まで #1日1記事P
2022年 10月 09日

何がきっかけでこの本を読もうと思ったのかが詳しくは忘れたけど、確か伊丹十三さんについて調べていたらこの本にたどり着いたと記憶している。
もともと僕は、映画に限らず「物語の作り方」に興味があって、「ストーリーテリングの法則」について調べたりしてたので、正直この本もそのような作り手のメソッド的なものだと思ったのだ。
で、読み始めたらいきなりこんな文体にぶち当たる、と。句点がひとつの繋がった文章です。
見えてはいないものへのいらだたしい渇望としてある「批評体験」の歩みは、ある特定の作品の残像とのほとんど偶発的といえる遭遇によって啓発されるものでありながら、その足跡は目ざす作品自体の表面に刻まれるのではなく、いわば流動する無名性に還元されたいわゆる作品一般の海、それも水面ばかりではなく海底すら持ちえない海のさなかなのであって、だから、航跡をみずから消し去ることによってしか前進はありえないこの歩みは、劈頭から襲いかかる存在の崩壊感覚を生の有限性のまぎれもない証としてうけとめ、それを苦悩や快楽とすり替えたくなる誘惑を排しつつ、これまた見えてはいないみずからの終熄の地へとひたすら滑り続ける運動にほかならなくなり、いわば沈黙による沈黙への拒絶ともいうべきこの試みは、人間のありとあらゆるいとなみのうちで最も血なまぐさく、また狂暴な色調でいろどられているはずのものなのだ。

いやー、久しぶりにこういう文章を読みました。なんとなく、昭和の本っていう感じの、懐かしさ。というか、まるで外国語の本を下手な翻訳家が下訳してみたような文章だったり。
あ、嫌いではないです。こういう文章。
そんなわけで、期待していた内容の本ではなかったけど、読んでいて面白かったです。結局何が書いてあったかはあまり思い出せないけど。
映画が、こういう批評の対象だった時代があったんだな、と。
by t0maki
| 2022-10-09 21:54
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