東京屋上散歩

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屋上区の皆さんと屋上で会合することになり、その予習のために図書館から借りた本。
屋上の写真集。

浅草の松屋の屋上の歴史とか、僕が知らない国立科学博物館の屋上とか。いろんな屋上を見ることができて楽しい。
10年以上前の屋上の姿。変わらない屋上もあり、変わっていく屋上もある。そもそも、「屋上」というもの自体が昔と比べると変わってきている。

公園と同じように緑のある公共スペースとして開かれた屋上もある中、全体的には屋上へのアクセスは閉じられてきているようだ。公団アパートの屋上なども、一般の人は入れないようになってきている。学校の屋上は、どうだろうか?

子供の頃、母型の祖父母の家が床屋を営んでおり、屋上によくタオルを干していた。窓から鉄製の屋外階段を上って、屋上に出る。その、地上からは見えない区切られた空間がとても好きだった。

屋上という、フレームワーク。プラットフォーム。切り取られた空間。

屋上区の人たちと会える日に、急遽打ち合わせが入って、約束の時間に間に合わなくなった。
自分の就業カレンダーには、「予定あり」と事前に入れていたにも関わらず。
勝手に入れられたそのミーティングは、欠席するという選択肢もあったはず。でも、当然のように仕事が優先される。
そのうちあわせの後、結局終電の時間までオフィスで仕事をすることとなった。屋上で屋上について語り合う会には、結局参加することはできなかった。

10年前、北海道の余市で「もっと自分に素直に、自由に生きたい」と、転職を決意した。
終電提示で休日出社が当たり前となっていたそのころの生活に比べたら、今の方がだいぶ自由度は増している。が、やっぱり会社勤めの雇われ人である以上、完全な自由を手に入れることはできない。いや、たぶんそれは、この社会構造の中に存在する以上、逃れられない制約なのだろう。60で定年を迎えたのち、貯えがある範囲で、もう少し自由になれるのか、なれないのか。

屋上で、空を眺めたい。

by t0maki | 2022-08-21 15:46 | Comments(0)