つかの間の夏休み

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火曜日の夜から水曜の明け方にかけて、10時間の残業。木曜日、追加で6時間の残業をこなして、金曜日はつかの間の夏休み。午前中は普通に仕事をしていた。
仕事があるのは良いことだ。忙しいのも悪くはない。ただ、自分の人生が無駄に削られていくのがつらいし、怖い。

子供の頃、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて、特になにもなかったけどなんとなく「宇宙飛行士」と答えた。別に、そんなになりたかったわけでもないけど。なにかしら答えておけば、大人はそれで満足するから。なりたかった職業は特になかったけど、「犬を飼いたい」という夢は昔からあった。コンバーチブルのオープンカーで、犬を乗せて走る。それが、かなえたい夢だった。

今の子供たちが大人になる頃、6割の子たちは「現在存在しない職業」に就くそうだ。新しい世の中で、新しい職業。未来が見えないのに、なりたい仕事など答えられない。

僕が子供の頃、インターネットは存在しなかったし、それが自分の職業になるなんて想像もしなかった。この、2バイトの情報が高速で駆け巡る電脳ネットワーク。その中で、多国籍企業のビジネスをサポートするのが今の仕事。デザインもするし、文章も書くし、シンプルなコードを使ってそこに載せる「広告」をつくる。それが、仕事になるとはね。ディズニーやサンキスト、フォルクスワーゲンやベントレー。セフォラ、ミスユニバース、アディダス。最初はひたすらホームページをつくる仕事。そこから、モバイルの仕事へ。ドコモ、KDDI、SoftBankなど通信キャリアの公式サイトを構築しつつ、NECカシオやLGのメーカーサイトを更新する。電子書籍の自社サイトや、ガラケーのUIデザインなど。そこから医療系やヘルスケアのサイトやサービス立ち上げを担当しつつ、今の会社に転職したのが10年前。一応、世界4位の広告代理店グループであるらしい。相変わらず、いろんなクライアントの間を行ったり来たり。2年間オフィスで仕事をして、2年間グーグルの社内でベンダーとして勤務して、また2年間オフィスで仕事をしたあと、2年間マイクロソフトで客先常駐。そのうち流行り病のせいで自宅勤務に。ドイツの製薬会社と、ドイツの車の案件を行ったり来たりしているのが、現在の仕事。

「飛び込む」というのが、自分のライフスタイルというか、モットーというか、まぁ、生き方。高校時代に英語が苦手で、一度も海外に行ったことがなく、学校以外に外国人と会話をしたこともなかったのに、大学はアメリカ留学。初めて乗った海外への飛行機が、留学の初日だった。そこでアートに出会い、大いに迷いながらも結局そこに飛び込んだ。ネバダ州立大学リノ校アート学部陶芸専攻。器をつくる方の陶芸ではなく、あくまで現代彫刻の手法としてのCeramics。なので、日本語で紹介する時は「陶芸彫刻」と呼ばせてもらっている。大学の途中で人類学部からアート学部へ転部し、普通の学生の1.5倍の単位を取得してきっかり4年で卒業した。

卒業後、日本に帰って仕事を見つける予定だった。けど、卒業の6週間前に友人を事故で亡くし、それがきっかけでアメリカにもう少しだけ残ることにした。コネもツテもないまま、アメリカの西海岸をサンディエゴから北上しつつ、住所不定無職のホームレス(ハウスレス)生活。結果、なんとかロサンゼルスの宝石デザイン会社で写真の仕事に就くことができ、そこから独学でWeb制作のスキルを身に付け、現在に至る、と。最初は、小さなインターネットサービスプロバイダーから。そこからいくつかウェブ制作会社を経て、現在の外資系デジマーケの代理店へ。

生まれてから大学を卒業するまでの24年間が、自分の人生の第一章。卒業して現在までの24年間が第二章だとすると、この先24年間の第三章は続くのか。第四章は?

あまり、長生きができるかどうか分からない。よくわからない占いにハマったうちの母親が僕に言ったのは、僕は36歳で死ぬということ。もしくは、36歳から転機を迎える、とか。その「運命のターニングポイント」から12年経過しているけど、振り返ってみてもその年に特になにも特別なことは思っていない。占いなんて、そんなものなのだろう。空っぽの呪いの言葉。否定したいのに、頭の片隅にずっと居座る。

72歳で死ぬのか?それとも、もっと早いのだろうか。さすがに、96まで生きられるとは思ってないし、そこまで生きたいとも思わないが。

そういえば、今月受けた人間ドックの結果が先週あたり届いた。今年は、東京マラソンに出場したり、100km歩く大会に参加したりしているが、相変わらずのメタボ予備軍認定と、いくつかの再検査項目。これもまた、たちの悪い占いのように、気にしないと思うほど頭の片隅にひっかかる。人生がとてもつまらなくなる。

永遠に生きられるとはもちろん思っていない。案外、終わりはすぐにやってくるかもしれない。小学六年生の時に一度だけ肺を壊したことがあり、その時に死を身近に経験した。破けてしまった肺を必死に動かそうと努力していたその日の夜。水槽から落ちてしまった金魚のように、必死に空気を肺に取り込もうとするのだが、漏れた空気が胸腔に充満してちっとも息を吸うことができない。それでも、口をパクパクしながらなんとか呼吸をする努力を続けていた。その努力をやめたら、自分は楽になれる。でもそれは、死を意味する。死ぬということが、こんなに身近なことなのだとその時気づいた。

一過性の疾病らしく、肺が破れて動かなくなったのはその時だけ。その後も喘息のような症状でしばらく吸入薬のお世話にはなるのだが、その後も普通に運動はするし、むしろ積極的にスポーツに取り組むようになったと思う。高校時代の思い出は、陸上部として校庭を走っていたことがほとんど。友達らしい友達もつくらず、ただ、ひたすら走っているか、それ以外はずっと読書をしていた。学校の行きかえりの電車の中や、昼休みなど、いつも何かしら本を読んでいた。

あきれるくらいの量の本を読み続けていたら、先生がクラスのみんなにこう言った。「大学に入ったらいくらでも本は読める。だから、今は大学の受験勉強に専念しなさい」と。それを聞いた僕は、まったくふざけた話だと思った。僕は、世の中の大事なことはすべて本から学んだ。学校の教科書には書いてないような知識も本から学んだし、人生における本当に大切な友情とか死とか、愛とか幸せについても、本からおおいに学んでいる。宇宙の神秘や、冒険の物語、淡い恋愛や、数学や科学の面白さ、ロボットが活躍する未来のストーリーや、現代社会の問題についてなど。

読書を犠牲にした人間だけが集まるような場所が大学であるのなら、そこに僕は行きたくないなと思った。

だから僕は、留学を決意した。生まれてから一度も、日本から出たことがないこの僕が。

「飛び込む」というのが生業なので、この先の人生でも機会があればどんどん新しいこともチャレンジしていきたいと思うし、実際にそうしている。時には失敗することもあるけど、というよりあちこちで失敗しまくってはいるけれど、誰もが最初は初心者なので、失敗することはいっこうにかまわない。死ぬまでなにかにチャレンジしつづけ、「日曜アーティスト」として自分なりの創作活動を続けることができれば、本望である。

by t0maki | 2022-08-19 23:21 | Comments(0)