アートとデザインについて考える

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3331 Arts Chiyodaで開催された「小池一子展」の連動企画として、「対談: 小池一子 × 日比野克彦。アートとデザインのやわらかな運動」というトークイベントが開催されたので、会場で聴講してきました。開場時間ぴったりくらいに到着したので、しっかり最前列で、前のめりで。

なにやら、動画配信がうまく設定できないようで、スタッフさんたちが慌ただしく色めき立っている中、「あの、すみません。今日のトークイベントは写真撮影をしても良いでしょうか?」とスタッフさんに質問したら「確認しますので少々お待ちください」って言われたまま、結局回答がないままイベントが始まってしまったので、せっかくデジイチとズームレンズを持ち込んだものの撮影はせず。ゆっくりじっくりお話を聴けたから、それはそれでよかったかな。

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トークの流れが、アートとデザインの境界線の話になって。「アートとデザインの違いとは?」っていう、根源的なテーマ。
これについては、僕自身ももともと大学で純粋にアートを学んできて、卒業してからデザイナーとしてウェブ制作の道に入ったので、自分としてもよく考えるテーマ。自分の中では、一応現時点での答えも持っています。

アートっていうのは、人が創造するものすべて。本人が「これはアートである」と言えばアートだし、あるいは見る側が「あれってアートだよね」って言えばアートになり得る。人がつくったもの、人工的なもの。つまりアーティフィシャルなものは全てアートになり得るという考え。人がつくるもの、あるいは創造的な活動は、全てアートになり得ると思うのです。

その上で、デザインという領域はアートに重複、あるいは内包されるもので、つまりアートとデザインの明確な境界線があるものではなく、アートであり、かつデザインでもあるというものは存在する。アート作品の、デザイン的側面など。あるいは、アート制作のプロセスや見せ方をデザインする、というような。

日比野さんは、アートは積み重ねであるとおっしゃってた。アートの歴史という意味でも、まさにその通りだと思う。
アートには正解がない。むしろ、前例のない、未踏の表現や技術を常に模索している。新しい作品を。

一方で、デザインには「こうあるべきである」という正解に近いものが存在する。それは、ユニバーサルデザインのように、使いやすさや見やすさなどを考慮した「正解」が。つまり、優れたデザイナーというのは、ものごとの本質を捉え、それを整理し、使い手にとって最適な、あるべき姿を導き出してくれる人。そのスキルが高い人が、すぐれたデザイナーであると言える。あるべき姿に、整えてくれる人。

看板、チラシ、ウェブ上のクリエイティブなど。標識、地図、サインなど。みんなが見やすく、理解しやすく、間違いのないものをつくる、デザイナー。
アーティストは、正解を導き出すというよりは、問いを投げかける人。日常のちょっとした違和感や、あるいはストーリー、美しいものなど。それを自分なりの手法で表現する。

デザイナーのスキルと感性を持っているアーティストもいる。
芸術的な感性はデザイナーにもプラスになると思うけど、芸術家のような我の強さはほとんどの場面でデザイナーには求められていないというのが厳しい所。そこはきちんと、仕事としてのデザインスキルが求められる。もちろん、例外もあるけど。

デザイナーは、正解を導き出す。
アーティストは問いを投げかける。

自分で問いを投げかけつつ、それに対する正解を導き出そうとするならば、それが最強なのかもしれない。
そこにさらに、企画や、予算も含めた制作管理のスキルも加わったら?

プロデューサーとデザイナーの知識とスキルがあるアーティストか。それはいいな。
という僕は、日曜アーティストだけれども。

by t0maki | 2022-03-23 01:28 | イベント・スポット | Comments(0)

書くこと、つくることが好き。旅をしながら写真を撮ったり、製品レビューをしたり、思いつきでいろんなところに飛び込んでみたりします。英語と走ることが得意。