サンフランシスコで知人の家に転がり込む

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1997年1月9日。アメリカ長距離鉄道の旅、11日目。リノを出発して、シカゴ、ニューオーリンズ、サンディエゴ、ロサンゼルスと来て、この日はカリフォルニア州オークランドに到着。ここからさらにカナダ方面へ向かう予定だったのですが、大雨と洪水のためにここから北に向かう列車が全てキャンセルされてしまったので、想定外の足止め。所持金はもう残り少なく。さて、どうするか。

その前に、リノの大学で、写真のクラスを受講していた時のエピソードを。
もともと僕は留学したネバダ州リノの大学で人類学を専攻する予定でした。ところが、アートのクラスを取り始めたらそれが面白すぎて、次はこのクラスも、こっちも面白そう、と、いろんなクラスを受講していくうちに、うっかりアートの単位を取りすぎたので、アート学部に転部したのですね。卒業したのは、陶芸彫刻学科なのですが、他にもいろんなアート系のクラスを受講していて、たまたま卒業後に仕事に結びついたのが写真だったわけです。フォトグラフィーのクラス。

その写真のクラスに、背の高い、とても綺麗な女性がいたんです。シングルマザーで、もともとモデルの仕事をしていたっていうのは後から知りました。その女の子から授業終わりに「これ、あとで読んで」って、小さく折りたたまれた紙を渡されて「これはもしかして、愛の告白的な!?」って浮足立ったのですが、そのメモの内容は「写真、かっこいいね。よかったら、購入したいんだけど」っていうもの。「なんだ、ラブレターではないのか」とがっかりしましたが、見方を変えれば僕の作品に対するラブレターなわけで。

「もちろん、OKだよ。もし、写真のモデルになってくれるなら、タダで作品をあげるけど」って返事をしたら、「じゃ、お互いを撮ろうか」ってことに。リノからちょっと離れた、荒野の真ん中で写真の撮り合いをしました。

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その後、彼女の家に遊びに行ったりして、娘さんと一緒にオズの魔法使いのビデオを観たり。割と仲良くさせてもらいました。
モデルの夢をかなえるために、サンフランシスコに引っ越すと聞いた時はちょっと寂しい気分になりましたが、もちろん応援する気持ちの方が強くて、「頑張ってねー」と。

彼女が引っ越して離れ離れになった後も、お互いの連絡先は知ってました。なので、この15日間の鉄道旅行の途中で、彼女と会う約束はしてました。まさか、洪水で列車がキャンセルになるとは思ってなかったので、そのことを話すと「あ、じゃぁうちに泊まってく?」って言ってくれて。急遽、オークランドからサンフランシスコへバスで移動して、彼女の家に転がり込んだのでした。

ドラマだったら、ここで恋愛に発展したりするんでしょうけど、その時にはもう彼氏さんがいたので、僕は紳士的に適度な距離を保ちつつ。2日目からは彼女のお兄さんが合流して、みんなでサンフランシスコの夜の街へ飲みに行ったり。

午前中は割と一人でサンフランシスコ市内をあちこち観光していて、自転車を借りてゴールデンゲートブリッジを渡ったのも確かこの時。坂だらけの街だから、自転車を漕ぐのがめちゃくちゃ大変だった思い出。

というわけで、僕の15日間アメリカの旅は、サンフランシスコに3泊して、最後はサンフランシスコからバスでエミリービルというところに行き、サクラメントから地元のリノに帰りました。

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1996年から1997年にかけて、15日間でアメリカの広さを体験する鉄道の旅。
翌年、1998年5月に、僕は大学を卒業しました。卒業後は、日本に帰って就職活動をする予定だったのですが、卒業直前に「いや、もうちょっとアメリカで頑張ってみよう」と決意し、大学卒業のおまけでもらえる1年間限定の就労ビザを申請し、アメリカに残ることに。ビザが発行されるまでに少し時間があったので、僕は卒業した後も大学で夏の短期のクラスを受講しました。ギャラリーインスタレーションの実践的なクラスで、学生はそれぞれギャラリーの空間を割り当てられて、そこに自由に作品を展示してグループ展を開催するという内容。たまたま、その時に担当してくれた教授がデジタルメディアを教える先生だったので、その時にコンピュータのラボを使わせてもらったのが、僕が初めてPhotoshopを触ったきっかけ。

ビザを入手した後、所持品を全部レンタル倉庫につっこんで、家を持たないホームレスの状態で「就職活動の旅」をしました。
アメリカ西海岸を、サンディエゴからロサンゼルスまで車で移動しながら職探しをしたのは、この15日間のアメリカ旅の影響が強いと思います。その、旅程を再び辿るかのように。鉄道旅では、ロサンゼルスのリトル東京にあるホテルに泊まりました。そして、その1年半後に再びここを訪れて、当時泊まったホテルの数軒隣にある、もっと安いホテルに長期滞在をしながら、ロサンゼルスで就職活動を行いました。

いろいろありましたが、最終的にダウンタウンのジュエリーディストリクトにある宝石デザインの会社に就職することができ、そこで一年間、みっちり宝石アクセサリーの写真を撮りつつ、Photoshopでの画像編集のスキルを身につけ、さらにWebデザインについても学んだことが、帰国後の進路に役立ちました。

インターネットサービスプロバイダーで、パソコンインストラクターやカスタマーサポート、ウェブ制作などの仕事をした後、恵比寿でデザイナーとして、外資系多国籍企業のウェブサイトをたくさんつくりました。その後、前職でも引き続きウェブ制作を続け、モバイルコンテンツの制作などにも関わり、デザイナーからプロジェクト管理の仕事にシフトしつつ、8年前からはNYに本社があるデジタルマーケティングの代理店で、ここでもいろいろなクライアントの仕事を担当しています。

大学卒業後に、アメリカに残るという選択をしていなかったら、僕の人生は今とは全然違っていたと思います。
この15日間の旅をしていなかったら、知り合いも全くいないサンディエゴからロサンゼルスまで、あてもなく「職探しの旅」なんてしてなかったと思うんです。

なので、この15日間の旅は、僕にとって原点みたいなもの。
今、旅ができない状況ですが、こうやってバーチャルで当時の旅を振り返ることができて、とてもよかったです。なんとなく、過去の自分を振り返ることで、これから先の道筋も見えてきそうな。

また、再び旅ができることを願いつつ。
以下に、今回書いた記事をまとめておきます。


リノからシカゴへ!24年前のアメリカ長距離鉄道の旅を辿るバーチャルトリップ

1997年のシカゴの写真を手掛かりに、ストリートビューでその場所を探す

今も続けている「置き土産」の企画は、1997年のシカゴのホテルがはじまりだった

1996年の記憶を掘り起こしながら、当時のガイドブックとGoogleマップでバーチャル旅

ニューオーリンズでの記憶がほとんどない

ニューオリンズからロサンゼルスへ3,200キロの道のり

1997年のサンディエゴ動物園にいたゾウはまだいる?

メキシコに訪れてスペイン語を話したかった

1997年のロサンゼルスがきっかけ



by t0maki | 2020-06-13 10:12 | ライフスタイル>旅 | Comments(0)