マイケル・ジョーダンは僕の青春のアイコンだったんだな

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マイケル・ジョーダンは、僕にとって青春の象徴みたいなものかもしれないな、って。
Netflixで『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』を観ながらそう思った。

シカゴ・ブルズが最初のスリーピート、つまりNBA三連続優勝を達成した時、僕は高校生だった。陸上部だったけど、バスケがどうしてもやりたくて、ひとりでバスケのゴールとじゃれついてた。たまに、体育でバスケができる時は、楽しかったな。当時は、しっかり助走をつけて、周りに誰もいない場所だったら、ダンクの真似事もできたよ。

1994年にアメリカに渡った時、マイケル・ジョーダンは野球をしていた。1995年に再びバスケに戻って、そして1996年、97年、98年と、また三連続優勝を果たした時、ちょうど僕の留学生活と重なってた。96年から97年にかけてアメリカを15日間かけてがっつり旅をしたとき、最初の目的地にシカゴを選んだのは、ブルズとは無関係ではなかったと思う。

1998年のブルズの試合は、テレビでよく見ていた。大学を卒業したのが、1998年の5月だから、ちょうどその頃に行われていたシカゴ・ブルズの「ラストダンス」の試合も、リアルタイムで見ていた。
今回、ドキュメンタリー映像を観ながら、当時その試合をテレビで観ていたのを結構鮮明に思い出した。もっとも、テレビの映像はもっと引きで粗かったけどね。
フィルムクオリティの映像を観て、改めて、マイケルも、ブルズも、すごいなと思った。

1998年から99年にかけて、僕はロサンゼルスで仕事をしていた。めちゃめちゃレイカーズの試合を観に行きたかったけど、その願いは達成できなかった。ちょうど、ブルズのデニス・ロッドマンがロサンゼルス・レイカーズに来るのが話題になってた。シャキール・オニールや、コービー・ブライアントなどが、僕の住んでいた街にいたというのに。

バスケの試合は、一度も生で見ることはできなかったけど、アメリカにいる時はわりとカジュアルにストリートバスケを楽しんでた。
大学の体育館にいくと、いつも誰かしら試合をしている。3on3とか、5on5とか、あるいはフルコートでも。
その場で、「よし、じゃぁゲームしようか」って流れになると、そこにいる人たちが1列になって、フリースローをする。ゴールを決めた順に、シャツ組と、スキン組に分かれる。シャツ組は、普通にTシャツを着てプレイ。スキン組は、上半身裸で。女子は、スキン組でも服を着たまま。この方法なら、ビブスもいらない。

「7点先取で」とか適当に決めて、試合をする。まったく知らない人とも、一緒のチームになって試合をする。なので、すごく年配のおじいさんに近い人が一緒にプレイしたかと思うと、いきなり本気のダンクを決めるような人もいたり。なので、アマチュアのストリートバスケなのに、いきなりアリウープっぽいパスを投げてくる人もいたりして。それを受け取る僕は、さすがにダンクは無理なので、丁寧に着地をしてから、「よいこらしょ」ってゴールするんだけどね。年代も様々。女性も入って来たり。とにかく、バスケが好きな人がコートに集まって、その場で一期一会的なチームをつくってみんなでバスケを楽しんでた。

日本に帰ってきてから、僕もたまに、昔を思い出しながらバスケのゴールとたわむれることがある。
けど、なかなか試合をやる機会はない。一緒にプレイしたとしても、やっぱり経験者が多いので、へたくそな僕はあまり居場所がない。
昨年、たまたま知人のチームに混じって試合ができたのは、愉快だった。楽しかったよ。ただ、うっかりアキレス腱を負傷して、その後しばらく難儀したけど。

また機会があれば、ヘタの横好きで、バスケットボールにもてあそばれたりしたいな、と。
あー、そういえば、家の近所のスポーツセンターが、ようやくオープンしたっぽい。行って見ようかな。
青春時代の欠片を取り戻すために。



by t0maki | 2020-06-09 22:32 | ライフスタイル>スポーツ | Comments(0)