1997年のロサンゼルスがきっかけ

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ロサンゼルスのユニオンステーションに到着して、まずは拠点となるホテルを探す。
リトル東京までは歩いて15分くらい。観光客が泊まるホテルは100ドル以上するが、僕が探しているのは格安ホテル。Little Tokyo Hotelは、1泊25ドル。その何軒かとなりにあうDaimaru Hotelは、1泊20ドルで、さらに安い。どちらも、シャワーは共同。いわゆる、今で言うバックパッカー向けの安ホテルである。

とりあえずどちらのホテルも近いので、向かってみて先に入った方に泊まろうと思った。

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で、実際にこの時に僕が泊まったのは、Little Tokyo Hotelの方。滞在者も日本人が多く、ロサンゼルスなのに日本語で買い物ができたり、日本食のレストランがあったり、いわゆる日本人街なわけで。面白いなぁ、と思った。

ホテルの近くにある日系のスーパーで、日本のお惣菜などを買って、ホテルに持ち帰って食べた。



旅程を振り返ってみると、どうやら僕はここで二泊しているようだ。1997年1月7日から、9日まで。このリトル東京に泊まっている。

15日間のアメリカ往復長距離鉄道の旅も残りあと3分の1。ただし、ここから北上してカナダに行く予定が大雨と洪水のため電車が運行中止に。なので、急遽このあと、サンフランシスコの友人宅に転がり込むことになるのだが、それはまたあとで書きます。

ロサンゼルスでは、特にこれといったアクティビティもなく。ちょうどこの時、MOCA(Museum of Contemporary Art)の別館がホテルの裏側にあって、そこに行ったのは覚えている。もともとは、LA市警察の倉庫だったのだが、そこをリノベして現代アート美術館になってた。Temporary Contemporary Museumですね。

この1年半後、僕は再びこの街を訪れている。

1998年5月にリノの大学を卒業して、その後1年間、卒業のおまけでもらえる就労ビザを使って、僕はアメリカで仕事をしようとしたのだ。

15日間のアメリカ旅行を終え、大学生活ラストの年。卒業後の進路について僕は悩んでいた。このまま、アート学部で学んだことを活かせる仕事に就ければ理想的だが、現実はそんなに甘くはない。大学の進路指導課を訪れたところ、僕が陶芸彫刻科専攻だと伝えただけで「あなたに合うような仕事は、ここでは見つからないよ」と言われた。お世話になってるアート学部の教授たちに相談しに行っても、みんな「大学院に進学したらいい」っていうアドバイスをくれるだけ。

一応これでも、僕はそれなりに優秀なアート学部生だった。毎年、アート学部から2名が選ばれる賞も受賞した。1人はアートヒストリー、そしてもう1人はスタジオアート。で、ぼくはスタジオアートの賞をとったので、実践的なアートの制作を学ぶ学生の中では、ある意味大学のトップだったわけだ。

それでも、卒業後の就職に、そんな賞なんてほとんどなんの役にも立たない。あまりにも仕事が見つからないので、僕は知り合いの高校の先生にも相談して、高校生が受ける進路指導のカウンセリングまで受けたよ。けど、ダメだったね。

カジノのスロットルマシーンをつくっている会社で、その機械のデザインをする面接に応募したのが、唯一の手掛かり。結局、その面接は受けることはなく、そのまま僕は「就職活動の旅」に出てしまったのだけど。

アート学生だった頃に伸ばしていた髪の毛が、肩甲骨が隠れるくらいの長さになっていたのだけど、卒業を機に全部切って、剃って、スキンヘッドにした。スーツを買う金も無いので破れかけたジーンズのまま。当時は左耳にピアスもしてたしね。そんな学生上がりの外国人の世間知らずの若者が、まともな会社に就職できると思う?

コネもツテもなにもないまま、なかなか面接にすらたどり着けず、旅の資金もどんどん減っていく。
最初はサンディエゴのデザイン会社を訪れたけど、会社見学をさせてもらっただけで「うちは今、経験者しか採用してないから」ってことであっけなくアウト。そこから北上していって、ロサンゼルスへ。

この長距離鉄道旅行で泊まったLittle Tokyo Hotelに泊まろうとしたらあいにくそこが満室で。その数軒隣にあるDaimaru Hotelに泊まったというわけ。

日本人バックパッカー的な旅行者が泊まりに来る他、ロサンゼルスで夢を追いかける若者が長期滞在しているホテルでもあった。就職活動の合間に、よくそういう人たちとロビーで夢を語ったよ。エレキギターをアンプをつながずにいつも弾いているミュージシャン志望の人とか。これからエルサルバドルへ移住しに行く人とか。大阪の塾で数学を教えている人とか。あとは、僕と同じようにL.A.でなんとか仕事を探している人も。

結局僕は、なんだかんだありつつホームレスに片足を突っ込んだ状態だったけど、なんとかダウンタウンのジュエリー・ディストリクトにある宝石アクセサリーをつくる会社に就職して、そこで広告用の写真を撮る仕事をすることになるわけだけど、一番最初に給料をもらった時、所持金の残りはわずか200ドルしかなかった。そのお金が尽きたら、僕はその格安ホテルに住むこともできず、路上生活者になってたというわけだ。本当に、ギリギリだった。

アートの賞が役に立たないって書いたけど、実はその時副賞として500ドルをもらっていて。そのお金がなかったら、もっととっくに路上生活だったろうね。あるいは、卒業間際に友人たちが僕の陶芸作品を買ってくれたり。フリマで売ってくれたりもして。就職活動の資金になった。

ロサンゼルスに再び来た時に、Little Tokyo Hotelに泊まっていたら、そっちの方が1泊5ドルは高かったわけだし、そうしたらやっぱり資金が底を尽いてたかもしれない。

本当に、首の皮一枚で、僕は生き延びることができた。写真の仕事をしながら、Photoshopでの写真編集や、Web制作なども徐々に覚えていって、1年後に日本に帰ってからはWeb制作の道へと進む、と。そこからモバイルコンテンツ制作や、デジタルマーケティングのプロジェクトマネージメントをしつつ、今に至る、と。

2018年に、20年ぶりにロサンゼルスを訪れたんですよ。当時、夢を語ったホテルにもね。

職場も、ここから歩いて行ける距離にあって。通勤する時は、いつもリトル東京や、MOCA 現代アート美術館の前を車で通ってた。

いろんなことが、実は繋がっているんだなぁって、改めて思います。
普段は意識していないけど、こうやって振り返ってみると、たしかにいろんな出来事や体験が連携していて、絡まりあっていて、どれか一つでも足りなかったら、今、僕はここにはいないであろう、という。

アメリカに残る決意をしなかったら。サンディエゴからロサンゼルスに行かなかったら。リトル東京に泊まっていなかったら。所持金の残り200ドルを使い切っていたら……。

未来に希望が見いだせないまま、仕事が見つかった後も実はロサンゼルスでじたばたもがいていたんだけど、けど今こうやって振り返ってみると、とても僕は幸運だったと思うんです。

当時は、確かに見えなかった。現実が全て僕にとって否定的に見えていたかもしれないけど、苦しかったことやネガティブに思えていたことも全て、今の僕にとって、役に立っている。無駄なことなんて、一つもなかったですよ。

さて、この15日間の長距離鉄道旅も、そろそろ終盤に近付いてきました。
次は、北上する列車が全てキャンセルされてしまった中、かろうじてサンフランシスコにたどり着くことができた話です。


by t0maki | 2020-06-04 23:39 | ライフスタイル>旅・散歩 | Comments(0)

書くこと、つくることが好き。旅をしながら写真を撮ったり、製品レビューをしたり、思いつきでいろんなところに飛び込んでみたりします。英語と走ることが得意。