パブリックアートに安易な裸婦像とかもういいよ

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うちの近くにある、荒川区のスポーツセンターが改修工事中。

なので、その周りにあった彫刻などが、軒並み移設されて、敷地の反対側の方へ。

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入り口にあった、裸婦像。今は、グラウンドの脇の植え込みの方にあります。

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コンセプトがよく分からないけど、全裸の小太り男性が馬の上で楽器を鳴らしてる像。

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抽象的な裸婦像。

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こちらは、ちょっと離れた南千住図書館の前にある、橋本左内の銅像。

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で、また女性の像。正面から写真を撮ろうとすると、位置的になんかヤバイ感じになるので、この像を撮るのは気を使う。

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そして、駅前にあるのは松尾芭蕉の銅像。

地元にゆかりのある有名人の銅像は分かりますけど、パブリックアートにおける安易な裸婦像の濫立って、あれはどうなんだろうとかちょっと思うんですけどね。やっぱり、時代なのかな。公共の場に設置する彫像といえば、無難に裸婦像、的な。そんな時代があったのかもしれないですけど。

なんか、よく分からないな。裸体である必然性が。

習作として創るのは分かるんですよ。自然にある有機的な形を彫刻のテクニックで再現するとか。それは良いと思う。でも、パブリックアートにそれを出すのはどうなんかな?って。見る人のことを考えてないような気がする。

女性や子供もいるわけでしょ。不謹慎な、とは言いませんけど、目のやり場に困ったりしないのかな。気にしすぎかな。

作家のフェチを見せつけられてるみたいで、「なんだかな」と思うのですよ。

全く理解しがたい幾何学的なモチーフも、それはそれで「なにこれ?」ってなるかもしれないし。安易なゆるキャラ的な像だと「いらない、それ」ってなるだろうな。

パブリックアートにふさわしいモチーフとは?

それは、場所や見る人によって変わってくるのだろう。

例えば、南千住駅前の松尾芭蕉の像は、理にかなってる。と、思う。まぁ、多少設置した関係者たちの押し付けがましさは見えるけど、そこには歴史的な理由がある。芭蕉が実際にここを訪れ、俳句を残しているから。そして、街ぐるみで俳句を推してるってこともあるし。

じゃぁ、スポーツセンターにふさわしい彫像とは?なんだろね。昔ここで泳いでたって噂のある、北島康介さんの彫像かね。でも、人物って難しいよね。公共の予算で、個人を讃えるってのは。あと、その人が存命のうちは、なにかしらの不祥事に巻き込まれるかもしれないリスクもあるし(北島さんに限らず)。そもそも、数十年後も有名かどうかは分からないし。とか。

スポーツをテーマに、動きと躍動感のある抽象的な造形とか、ですかね。

そこに、なにかプラスアルファを付けたいな。触るとご利益ある部位とか。南京錠をかけて、みたいなとか。技術とメンテナンス的に可能であれば、ゴリゴリ動くような動画映えする彫刻とか。

それを見に来る人がいて、そこで写真を撮ったりして、拡散して、認知度が上がって、さらに人が来るようなのが良いなぁとか考えるのは、僕の脳みそがマーケティング的だからかな。

でもやっぱり、安易な裸婦像なんかより、見て楽しくなるような、心に残るような、ワクワクするようなパブリックアートってあると思うんだよな。

草間彌生さんの個性的な作品群とか。中に入れるのも良いよな。思わず見に行きたくなるようなパブリックアートが良いと思うのです。

by t0maki | 2019-05-16 03:55 | アート | Comments(0)