12才の体験とメメントモリ
2019年 02月 05日

12歳の頃、夜中に突然息ができなくなった。
口を開けても空気を吸うことができない。
水槽から床に落ちた金魚のように、ただむなしくパクパクと口を動かすだけ。
ベッドの上で、水も無いのに、僕は呼吸ができずに溺れかけた。
人間は、生活している中でいろんなことを感じて、考え、行動する。思考と、感覚と、感情と意識が混ざり合って、空想したり、妄想したり、頭の中でいろんなことを考える。
僕がベッドで溺れた時、頭の中にあったのはただ一つ。「息をしたい」ということだけだった。他は何もいらない。ただただ、肺に空気を吸い込みたかった。
「死」がすぐそこにあった。息をする努力を止めた時点で、僕は死ぬ。
「こんなにも簡単に人は死に直面するものなのか」と思った。
それ以来、僕は自分の死を意識しながら、ずっと生きている。
三軒目の病院で「気胸ですね」と診断され、そのまま入院となった。
なんらかの原因で肺から空気が漏れ、息ができなくなる病気。10代から20代くらいの、背が高くてやせ型の男性が発症しやすいらしい。まさに当時の自分に当てはまる。
学校の先生と友だちが、夏目漱石の『坊ちゃん』と週刊少年ジャンプを持ってお見舞いに来てくれた。
「ねぇ、ここ。ちょっと触ってみてよ」と僕が鎖骨のあたりを指差す。
友だちが「え、なに?」と恐る恐る手を伸ばす。
「中でなんか、ぐじゅぐじゅ言ってるでしょ」
「うわ、なにこれ。なにが入ってるの?」
「肺から漏れた空気。しばらくしたら無くなるって」
「ふーん」
一週間の病院生活はいたって平穏だった。時々、医者や看護師さんと話をした。
「帰ったらカップうどんが食べたい!」と母に言って、退院してから実際に食べてみたら思ったほど美味しくはなかった。
退院後、普通に学校生活を再開し、元の暮らしに戻った。以前と変わったのは、前よりも本を読むようになったし、身体も鍛えるようになったこと。貪欲に人生を楽しもうという意識を持つようになったこと。
高校で陸上を始め、大学はアメリカへ留学した。英語を身につけ、スペイン語とアートを学び、卒業後はロサンゼルスで宝石デザイン会社のフォトグラファーとして仕事をした。帰国後はITのスキルと知識を磨いて、ウェブデザイナーとなった。モバイルコンテンツ制作を経て、現在は広告とマーケティングの仕事をしている。そして、プライベートでは「日曜アーティスト」を名乗って自由な創作活動を続けている。文章を書いたり、写真を撮ったり、仲間と勉強会を開いたり。
今、僕がここにこうしていられるのは、あの12歳の夜に、息をするのを諦めなかったから。あそこで呼吸をするのをやめていたら、僕は今ここにいない。
死に直面すると、生のありがたみがしみじみと感じられる。精一杯生きようという気になる。
一度きりの人生、いつ終わるか分からない。だからこそ、毎日を大切に生きたいと思う。
by t0maki
| 2019-02-05 17:17
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