地球人である

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2000年から東京で仕事をするようになって、結婚してからは住まいも都内に移して、気づけばこの東京暮らしが自分の人生の中で一番長いわけではあるんだけど、このるつぼ的な街に入り込んだ自分はやっぱりいつまでたってもよそ者であるわけで、故郷と呼ぶのに一番近い存在なのが長瀞であることは間違いないのだけど、それですら出生地ではない点で永遠のよそ者感は拭えんのです。

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生まれた病院は福島なのだけど、それはたまたま母親の実家がそこにあったというだけで、住んだことはない。当時両親が住んでいたのは神奈川なのだが、あいにくその当時の記憶はない。

最初に住んでいた記憶があるのが北海道の札幌であることから、そこが自分の精神的な出発地点であることは確かだ。当時の幼馴染とアメリカで再開して恋に落ちたエピソードはまた別の話。すぐにまた、神奈川の相模原に引っ越した。

「月が、追いかけてくるの。知ってる?」
母親同士が立ち話をしてる横で、僕とケイちゃんの二人は遊んでる。
「見てて、ホラ。月、動いた?」
「んーん。動いてない」
「うそ、ホラ。動いてるでしょ」と、僕は走る。
「動かないね」とケイちゃん。
そして、今度はケイちゃんが走って月が追いかけてくるのに、僕の月は動かないのを確認する。
そういうものなのか、と思った。
4歳くらいかな。自分と、他人とが、一緒のものではなく、それぞれ異なる視点と自我を持っているのだと気付いた瞬間。

そのあと、みんなで一緒に団地の中を移動して、それぞれみんなの月は一緒についてきたけど、それはたまたまみんなが同じ方向に向かっているからであって、本当の意味で月はついてきてはいないとわかった。

そんなエピソードを突然思い出した。

で、そのあと長瀞に来て、高校を卒業するまで15年くらい過ごしたあと、アメリカへ飛んでった。

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砂漠の真ん中の小さなカジノ街で大学生活の四年間を過ごしたあと、いきなり大都会のロサンゼルスで社会人デビュー。ホームレスになりかけたけど(ってか、なったけど)写真の仕事に就いて、きちんと帰ってこられた。

その時点で、僕は人生の五分の一をアメリカで過ごしてきたことになる。で、そっからちょうど20年が経とうとしてる今、僕の中でのアメリカも、当時の半分くらいに薄まってしまってはいるけど。一応外資系の会社で仕事はしてるので、たまに英語を使う機会もなくはないというくらい。

というわけで、「懐かしいな」と思う場所や思い出はいろいろあるけど、やっぱりいまいち自分の本当の故郷というのがわからないまま、「まぁ、地球人で良いかな」などとくだらないことを考えたりもするわけです。

by t0maki | 2018-09-21 23:44 | Comments(0)