野口英世さんってすごい人だと知ってたけど、その逸話が想像以上だった
2018年 07月 17日

野口英世といえば、世界的で活躍した細菌学者。千円札の人としても有名ですよね。
幼い頃に左手を火傷して指が癒着して開かなくなり、その後アメリカ帰りの医師に手術をしてもらったおかげで手が使えるようになり、その影響で医学の道に進んだ、と。そして、数々の輝かしい細菌学の研究成果を残し、最後はアフリカで黄熱病の研究中に自分も感染して命を落とす。小さい頃に伝記で読んで、すごい人だなぁと思った。
確かに、すごい人なんだけど、すごい人であるがゆえにちょっと常人には理解できない部分もあったりして、そこが人間っぽくて良いなぁ、ということで、野口英世先生のエピソードを集めてみました。海外赴任費用を使い切ったり、婚約者の持参金を渡航費にするかと思えば、出発前に使い切ってしまったり。で、結局婚約者と結婚しないとか。戸籍の名前を変えるときのエピソードとか、「マジかそれ」って感じですよ。
以下、そんなエピソードの一覧です。
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・先輩から金を借りようとしたが、その先輩の給料足んなかったので、先輩に月給を上げる秘策を与えて、上がった分の給料で援助してもらった。その援助額は、最終的にその先輩の最初の給料の三倍以上に。
・海外赴任のために支度金96円を受け取ったが、出発する前に放蕩で使い果たした。結局、資金は前述の先輩に工面してもらった。
・女学生と婚約し、その婚約持参金でアメリカへ渡航する予定だったが、出発前に遊郭で使い果たした。前述の先輩が高利貸しから借りた金で、渡航した。
・婚約したもののその女性とは結婚したくないので、前述の先輩に婚約持参金を返済して、婚約破棄した。今だったらちょっとした結婚詐欺事案。
・前述の先輩がアメリカにいる野口英世を訪れた際は、付きっ切りで案内してまわり、通訳をかってでて、なんと大統領にまで謁見させた。
・生涯に様々な研究成果を発表したが、一部の研究論文は間違っていて、現代の医学では否定されているものもある。
・もともと名前は野口清作だったが、坪内逍遥の『当世書生気質』という小説に登場する野々口精作という人物が借金癖があり、自分とそっくりで嫌だったので本名を変えることを決意。
・自分の名前を変えるため、自分と同じ「清作」という名前の人物を生家近くの野口家に養子に入ってもらい、「野口清作が二人いるので紛らわしい」という状況を自らつくりだし、役所に申請して戸籍名を「英世」に変えた。
・1915年に日本に一時帰国したのを最後に、1928年に黄熱病で亡くなるまでの13年間一度も日本に帰ることはなかった。ニューヨークの墓地に埋葬。
・「学問は一種のギャンブルである」という言葉を残している。
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ここらへん、だいたいソースはWikipediaですけど、読めば読むほど「これホントか?」っていうようなエピソードが次々と出てきて、さすが、スケールの大きな人は逸話もでかいな、と。
改めて、すごい人だなと思うわけです。
そんな野口英世の銅像が、上野の科学技術館の近くに立ってます。こういうエピソードを知ってからまた銅像を見にいくと、ちょっと印象が変わって見えるかも。
by t0maki
| 2018-07-17 20:58
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