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元活字中毒患者の告白
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一時期、僕は「活字中毒」に罹患していたことがある。
今でも割と本は読むけど、あの頃は異常だった。ビョーキである。

高校から大学にかけて、大量に本を読んでいた。どんなジャンルの本でも良い、とにかく、常に活字に触れていたい欲求。小説エッセイ学術論文ノンフィクション歴史数学理科伝記SFショートショート推理探偵国際情勢ポエム洋書なんでもあり。高校の図書館も利用していたが、図書カードが継ぎ足し継ぎ足しでどんどん分厚くなっていく。僕と、もう一人文系の友人と二人で、その厚さを競っていた。

高校の卒業式に、普通は女子の後輩が「第二ボタンをください!」って来ると思うけど、僕の場合は「図書カードをください!」って後輩が来た。「そんなんもらってどうすんの?」とは思ったけど、まぁとっといてもしょうがないのであげた。

図書館だけでは足りず、高校の近くにある行きつけの古本屋にちょくちょく行き、安い文庫本が並ぶコーナーに行って、片手で持てるだけの分量の本を選んで買ってた。冊数を決めて買うのではなく、厚さの合計で「このくらいかな」っていう買い方。分厚い本が多い場合は、冊数も少なくなる。逆に薄い本が多いと、購入する本の数が増える。あくまで、ページ数の合計がちょうど左手でわしづかみにできる分量、っていうこと。

そもそも、僕が高校三年の秋口に大学受験を放棄してアメリカへ留学しようと決意したのは、先生にこういわれたから。

「大学受験を控えてるんだから、本を読むのは止めなさい。大学に合格したらまた読めばよいんだから」

僕は、人生に必要な大事なことをたくさん本から学んできた。自分が本当にやりたいことを犠牲にしてまで大学に入りたいとは思わないし、そういう人が集まるような場所が大学なら、そんなところには行きたくないと思った。というわけで、当時学校の英語の授業が大嫌いだったのにも関わらず、かつ海外に一度も行ったこともなく、外国人とまともに(学校以外で)会話をしたこともないのに、アメリカ留学を決意した、と。

留学先のアメリカでも、活字中毒は治らず、むしろ読みたいのに読めないことがストレスとなり、禁断症状が出たり。日本から持ってきた本はとっくに読み終わってたので、大学の図書館に行き、日本語の本をなんとか見つけては読んでいました。よく分からない学術論文とか、ただそれが「日本語で書いてある」ってだけで読んでみたり。不思議なもんで、僕が渇望しているのは日本語の本なんですよね。日本語の文章に触れたい、という。だから、洋書を読んでも活字中毒の欲求は治まらない。

日本に一時帰国したとき、ダンボール箱いっぱいに古本を積めてアメリカに持ち帰ってきたけど、それも結構あっという間に読みきってしまい……。同じ本を2度読むことがあまりないのです。世の中には、一生かけても読みきれない量の本がある。それをなるべくたくさん読みたいから、2度読みはムダ。読んではまた次の本。読んではまた次の本、と。

社会人になってからは、活字中毒も自然と治まってきて、以前よりは本を読まなくなりました。ネット上で活字に触れているからかもしれませんね。読むよりも、書いている時間の方が長かったり。特に、小説は最近あまり読まなくなりました。

こないだ、久しぶりに古本屋に行ったので、昔のノリで本をごっそり買ってみました。ちょうど片手につかめるくらいの分量を。以前はこの量を買ってもあっという間に完読してましたが、さすがに今はなかなか読む時間もないので、しばらくは持ちそうです。本のセレクションも、昔読んでいた懐かしい作家さんのものを選びつつ。たぶん、既に読んだことのある本も混じっているかもしれないけど、あまり気にせず。昔一度呼んだくらいの本はとっくにもう忘れてるから。

久しぶりにじっくりと味わいながら、本を読みたいな。


by t0maki | 2018-07-08 17:05 | Comments(0)

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