20年前の自分に会ってきた

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20年前の自分がそこにいた。

その中にいた時はまだ分からなかったことが、さすがに20年も経つと客観的に物事を把握できるようになってくる。なぜ自分が、ホームレスに片足を突っ込んだ状態で縁もゆかりもないロサンゼルスで職探しをしなければならなかったのか。

確か、彼女とは同じ飛行機でアメリカに渡ったはず。その時は、まだ知り合いではなかった。大学に入学して初めての学期に、同じクラスを受講したのが知り合うきっかけ。海外で同じ日本人同士ということで、割とすぐに仲良くなった。人見知りの僕にとって、心を開ける数少ない友人の一人。みんなでキャンプに行ったり、男女四人でサンフランシスコへ旅行へも行った。

僕は、彼女のことを羨ましいと思っていた。
「お土産!」って彼女から渡された、小さな真珠のアクセサリー。
「あ、ラスベガス。ジュエリーのコンベンション、どうだった?」と僕が聞くと、
「わたし、卒業したらここに通って資格を取ることにした」と、一冊のパフレットを見せてくれた。宝石の資格を取るための専門学校。

彼女は、しっかりと自分の人生を見据えて、大学卒業後もしっかりとした進路を決めている。一方僕は、なんとなく人類学を学ぶ予定で渡米留学してみたけど、途中ですっかりアートにハマってしまい、アート学部に転部して陶芸彫刻を専攻。卒業後のことは全く何も決まっておらず、なんとなく「日本に帰って職探しをするしかないな」と思ってた。

先が見えない不安。本当になにがしたいのか、なにをすべきなのかも分からないまま、なんとなくずっと同じところで足踏みをしているような。そんな僕にとって、颯爽と前進しようとする彼女は眩しかった。

1998年5月に、僕と彼女は同じ学校の同じ卒業式に参加する予定だった。しかし、卒業式当日に、彼女の姿は無かった。

卒業の6週間前に、彼女はあっけなく交通事故で亡くなってしまったから。

なんとなく、「僕が代わりに死ぬべきだったんじゃないか」って思った。どう考えてもおかしい。未来への希望を持って生きてる彼女ではなく、卒業後の目標さえも見失ってる僕の方が死ぬべきだ。死神が間違えたんじゃないか、と。

いろいろ考えた結果、僕は彼女の分も生きようと思い、もう少しアメリカに残ることにした。個展で作品を売り払って、就職活動の足しにした。就労ビザを申請し、職探しの旅に出た。

アメリカ西海岸を彷徨った後、最終的にロサンゼルスにたどり着いたのは、なんとなくここならなにかしら仕事がありそうに思えたから。

コネもツテもアテもないまま、リトルトーキョーにある電話もない安ホテルを拠点にして、半ホームレス状態での就職活動。そこには、金はないけど、夢はあるという人が集まっていた。ミュージシャンを目指す若者、これから南米に移住しに行くという日本人男性、大阪で数学塾を開く予定の人など、そのホテルのロビーでよく夢を語った。不安と焦りはあったけど、孤独では無かった。

僕と同じように仕事を求めてロサンゼルスに職探しに来た学生上がりの青年と仲良くなったが、彼は僕より先に日本料理店のバイトの仕事を手に入れ、ホテルから出て行った。僕は仕事が見つからないまま、手持ちの金がどんどん少なくなっていく。どうしようもない。どうにもならない。

お金持ちのマダムたちに絵の描き方を教える仕事はあっけなく面接で落とされたけど、そこで知り合った人からダウンタウンにある宝石デザイン会社を紹介してもらい、とんとん拍子で話が進み、そこに就職が決まったのは7月のこと。手持ちの金はたったの200ドル。既に日本に帰る飛行機代さえも残っておらず、まさに路上生活の一歩手前で救われた。

500万円くらいする宝石アクセサリー専用の撮影機材に囲まれて、僕は一日中商品を撮影しては、デジタルでリタッチするという仕事を一年間続けた。

ある日、いつものように出社して、オフィスの本棚を眺めていたら、とある冊子に目がとまった。ゆっくりと、本棚から取り出してみる。

それは、卒業前の事故で亡くなった彼女が以前見せてくれた、宝石の専門学校のパンフレットだった。

あれからちょうど20年が経ち、再びロサンゼルスを訪れてみた。宝石会社があった場所には、もう別の会社が入っているようだった。リトルトーキョーも歩いてみる。安ホテルは、ちょっとだけリニューアルをしたようだが、変わらずそこにあった。今でもまだ、夢を追いかける若者たちが集まっているかもしれない。

一年間、ロサンゼルスで写真の仕事をした後、日本に帰ってから地元のインターネットサービスプロバイダーで働き、そこからウェブ制作の現場で外資系企業のサイトや、モバイル、ヘルスケア・医療系など、様々な案件を担当してきた。今は、外資系のデジタルマーケティングの会社で広告制作のプロジェクトマネージャーとして仕事をしている。

そして、「日曜アーティスト」を名乗って趣味の創作活動や、このブログを書いたりなど。そろそほ、このブログに書いた記事も5,000本を超えたようだ。

20年前と、やってることはほとんど変わらない。とにかく、じたばたしつつ、目の前のことに本気で取り組むだけ。努力が必ず報われるような甘い世界ではないし、むしろ頑張れば頑張るだけ良いように利用されるだけの世知辛い世の中かもしれないけど、無駄だとわかってても必死で走り続けなければならない時もある。走って、走って、走り続けた後、ふと後ろを振り返ってみると「なかなか面白い人生を歩んできたなぁ」と思ったりする。この先20年後も、その先も、ずっと走り続けていたい。



by t0maki | 2018-06-17 04:15 | Comments(0)