今でもまだ走っています
2017年 09月 28日

子供の頃、割と本気で剣道をやってた。
剣道そのものも好きだったとは思うけど、道場に通ってみんなと居られるのが好きだったんだろうな。
先生の本業は大工さんで、自分で道場を建てて、子供の友達を集めて剣道を教えてた。木の匂いがする作業場が好きだった。今でも、材木の匂いを嗅ぐと、あの剣道場を思い出す。
その道場での練習は好きだったけど、中学に入ってからの部活の剣道はあまり好きではなかった。というより、途中からは単なる惰性で所属してただけ。高校に進学した時に、さっさと陸上部に乗り換えた。
ある意味、剣道と陸上は真逆である。剣道は、審判が打突をジャッジする。単に当たれば良いというのではなく、気合いとか声とか全体の流れとか当たった後の動きとか、要は審判の主観なわけ。審判が当たったといえば、当たってなくてもそれは当たりだし、当てようとした方も「いや、今のオレ、当たってないから」とかは言わない。「当たったぜ!」アピールが強い方が一本取らせてもらいやすいこともある。
意図せずともしなくとも、審判の頭の中に「この学校は強豪校だ」という意識があると、そっちに一本上げやすくなる。逆に、一本上げないと「何やってるんだ!今のは一本だろ」と、周りから無言でなじられる。
中1の時、3年生が引退したタイミングで補欠に選ばれた。そのまま行けば、2年にはレギュラーだったかもしれないが、ちょっとした事件が起こった。
ある時、先生に呼び出されて、不思議なことを言われた。次の試合、補欠の登録を他の生徒に代わってくれないか、と。最初、何を言ってるか分からなかった。選手の選抜は部内の先行試合で公平に決められたものだし、なぜ入れ替わらなければならないのか、意味が分からない。
剣道の団体戦は、5人のレギュラー選手と、2人の補欠で戦う。先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の順で戦い、勝者の多いチームが勝者となる。引き分けがあったりなどして勝者が同数の場合は、取った本数の多い方が勝ち。レギュラー選手が怪我をしたり、調子が悪かったりすると、補欠と入れ替わる。当然ながら、試合に登録された補欠以外の選手は試合に出場はできない。仮にレギュラー選手のうち3人が試合に出られなくなったとしたら、補欠2人が入ったとしても4人しか揃わないから、5人目は相手の不戦勝となる。そんな感じ。
なぜ、補欠の2人が先生に呼び出されて、他の補欠に入れなかった2人と入れ替わってくれと言われたのか。よく聞けば、その2人の生徒の「内申の成績を上げたい」というのが理由だったらしい。僕ら補欠2人を含む登録選手は、実はその1つ前の大会で県大会まで進み、そこで優勝していた。だから、内申書にはすでに県大優勝の記録がある。だから、他の2人に次の試合の補欠を譲れ、と。
どうにも納得いかない話なので、僕ら2人は当然断った。でもその後、どういうことか、なぜか「二度目」の部内選抜戦が行われ、なぜか4人だけで戦うことになり、結果、補欠は2人とも入れ替わった。剣道なんて、審判のさじ加減でどうにでもなると書いたが、それだけでもない。勝ちを望まれていない選手は、試合で勝つことができない。それは、心理的なブロックとなって、戦うことができなくなる。
そんな出来事の後、僕は学校の部活に本気を出すのをやめた。あとはもう、暇つぶし、時間つぶし。もちろん、練習は普通に参加するし、きちんと剣道部として活動していたが、もうレギュラーに上がる気さえなかった。その後の、部内のレギュラー選考試合では、必ず一試合目は負けることにしていた。そうすると、最終的になんとなく補欠のポジションは維持できる。さすがに、補欠から漏れるとカッコ悪いから、適度には勝つ。そうやって、三年まで補欠のまま、レギュラーには上がらずに剣道部を引退した。
もちろん、今考えるとバカだなと思う。若さゆえの正義感というか、潔癖性というか、そういった不正とか大人の汚いやり口に我慢ができず、腹を立ててふてくされたまま中学の部活生活を送ってしまったわけだから。今なら、他の部活に転部するなり、あるいは吹っ切ってまた本気で剣道に取り組むこともできたって分かるけど、当時はどこにも逃げ道も居場所も無いように感じていた。
中学を卒業して高校に入学する時、剣道はスッパリ捨てて、全く未経験の陸上部に入部した。剣道と陸上は真逆だと書いたが、剣道と違って陸上は全く誤魔化しようがない。単純に、足が速い奴が勝つ、と。ゴールのタイムを計測して、その数値がコンマゼロ何秒でも、速い方が勝つ。その明快さが心地よかった。審判の裁量で勝敗が変わることなんて無い。高校時代の部活は本当に楽しかった。
もちろん、入部したての頃は、陸上部内で一番か二番目に足が遅かった。ゴツい体格の投擲の選手にさえ負けてしまう。ただ、陸上の面白いところは、正しくトレーニングすればするほど速くなる。自分で課題を見つけ、それを克服するためには何をすれば良いのか考える。そして、ひたすら練習を続ける。
やがて、それなりには走れるようになり、特に専門の400mでは部内で敵なしということになり、2年生の時に陸上部短距離チームのリーダーになり、同時に副部長になった。3年生になって副部長を後輩に譲ってからも、1人で昼休みや放課後にトレーニングを積み重ね、最後に八種競技の大会に出場した。周りのみんなが受験勉強に励む中、どうどうと学校を休んで2日間で8種目の競技をこなす。これがまぁ、本当に楽しかった。その大会を最後に、僕の高校での陸上生活は幕を閉じた。
実は、今でもまだ走ってる。40過ぎてから、また短距離を走るようになったのだ。マスターズ陸上っていう、年配のアスリートのための公式大会で、先輩たちに混じって40代の「若輩者」として走ってる。これもまた、すごく楽しい。
この歳になると、さすがに本気で短距離を走る選手も少なくなり、前回の大会ではうっかり東日本の大会で400メートル走の銅メダルを獲得した。もっともその日は朝から雨が降っていて、僕の年代クラスの400メートル走者が3人しかいなかったというのがこの話のオチなのだが。
数日後に大会を控え、順調にトレーニングを重ねてるとは言い難いが、またあの雰囲気の中で走れるかと思うと、楽しみで仕方ない。
by t0maki
| 2017-09-28 20:33
| ライフスタイル>スポーツ
|
Comments(0)