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ネバダのカジノで「もしもあの時」
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先月、ラスベガスに行ってきた。出張で。
僕が大学の4年間を過ごしたのは、同じネバダ州でももっと田舎のリノという街。ベガスよりも小さなカジノ街。

幸い、と言うべきか、僕はギャンブルには全く興味がないので。今回の出張でもまったく賭け事をしなかったし、学生時代もカジノに行かない分、しっかり集中して勉学に励むことができた。

途中まで人類学を専攻してたんだけど、アートのクラスがあまりにも楽しすぎてたくさんのクラスを受講し続けていたら、アート学部に転部することに。よりによって、陶芸彫刻科っていう、一番つぶしのきかない分野を選んでしまった。就職活動もしたんだけど、アート学部卒業ってことが予想通りハンデになって、まぁ仕事が見つからない。大学の就職斡旋所的なオフィスに行ったら、所属学部名を伝えただけで「あなたに紹介する仕事はないわよ」って即答された。アート学部の教授ほぼ全員に相談したけど、みんな「大学院に行きなさい」って勧めるだけで、そんな金は無いんで諦めるしかない。フルで奨学金を取れたとしても、生活費がねぇんだもの。何を血迷ったか、知り合いが先生をしている高校のジョブカウンセリングも受けた。高校生に混じって「何か仕事はありませんか?」って。

なりふり構わず、必死にやってたら、一社だけ面接してくれるところが見つかった。よく分からないけど、どうやらカジノのスロットルマシーンのデザインを制作する会社らしい。オレ、ギャンブルに興味がないし。陶芸彫刻を専攻していたオレがどう頑張ってもそんなデザインの仕事は手に余ると思ったので、結局その面接は受けずに町を飛び出した。1998年の初夏。

そっからアメリカの西海岸を放浪して、最後にはホームレスになりかけてーーというか、路上生活者ではないだけで、肩書きとしては立派なホームレスになった後ーーなんとかようやく写真の仕事を見つけ、ぐるっと遠回りしつつもデザインの職に就き、今の広告代理店の仕事に繋がる、と。
人生において、「もしもあの時……」なんて言うのは野暮だけど、あえて言うなら、もしもあの時僕がリノに残って面接を受けていたら。もしも、スロットルマシンのデザインをしていたとしたら。僕の人生もがらっと大きく変わっていたのかもしれないなと思う。街を飛び出し、路上生活寸前のどん底を経験し、この上ない挫折を味わったからこそ、今の自分がここにある。

そんなことを、ラスベガスからの帰りの飛行機の中で考えたりしつつ、人生って面白いよなぁと思った。

by t0maki | 2017-06-05 00:00 | ライフスタイル>旅 | Comments(0)

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