2011年に国内旅行モニターとして会津若松を訪れた思い出

2011年に国内旅行モニターとして会津若松を訪れた思い出_c0060143_14081403.jpg

2011年3月11日の東日本大震災からまだ半年も経っていない8月28日に、僕は福島県の会津若松を訪れた。

東日本大震災の翌月、原宿で開催されたチャリティ展に参加して作品を販売した。「東北のために何かをしたい!」と思いつつ、具体的に何をすれば良いのか分からずもやもやしていたところに、観光庁主導による官民合同の「国内旅行振興キャンペーン」の通知があり、迷わず応募した。

国内旅行モニターという形で、いくつか行き先の候補が選べるようだったが、僕は福島県の会津若松を選んだ。もともと、母方の実家が福島だったので、小さい頃から夏休みはたいてい福島のおじいちゃん・おばあちゃんちに遊びに行ってたのだ。もちろん、会津若松も何度か訪れている。

■会津若松への旅
郡山で乗り換え、内陸部を目指して福島県会津若松駅へ。震災後、福島県を訪れる観光客が激減したとは聞いてはいたが、実際に訪れてみるとやはり人が少ない。ただ、旅行に行く前はもっとひどい状況を想像していたので、思っていたよりは人がいるな、という印象。ただし、外国人観光客はほとんど見なかったし、訪れている人たちも地元の人たちが多いようだった。
会津若松は、原発第一原子力発電所から約100キロ離れている。同じ福島県とは言え、海岸からはだいぶ遠い。距離で言うと、栃木県の那須塩原とか、茨城県の日立市と同じくらいの距離である。でもやはり、同じ福島県というだけで、県外からの観光客が激減したとのこと。

鶴ヶ城(会津若松城)を見に行く。幕末の戊辰戦争で、白虎隊がいたことで有名なお城。飯盛山に落ち延びた際「お城が燃えてる!」と勘違いした白虎隊士たちが、早とちりして飯盛山で自刃してしまうという悲劇が起こったというエピソードが有名。
20人(17名という説もあり)のうち、1名のみが生き残ったとされるが、実は白虎隊というのは300人以上が所属する部隊(343名という説あり)だったので、自刃した隊員が所属していた白虎士中二番隊も含め、「白虎隊」として生き残った人たちは意外とたくさんいる。

ここでちょっと話がずれるが、白虎隊のいた会津藩の隣にある、二本松藩も戊辰戦争で幕府軍として戦っており、中でも「二本松少年隊」も少年兵による部隊だったが、白虎隊よりももさらに隊員の平均年齢が低く、戦死したものが多かったたために、その話を語り継げる者さえあまりいなかったという。実は、この二本松少年隊の隊長である木村銃太郎が、うちの先祖。砲術師範だったので、「銃」のつく名前をもらったらしい。テレビで「白虎隊」をやった時に、二本松少年隊のシーンがワンカット(しかも全員倒れてるシーン)しかなくてがっかりした記憶があるけど、今調べたら「八重の桜」では結構取り上げられたらしいですね。今度観てみよう。

さて、鶴ヶ城に話を戻して、実はこのお城は震災以前にしばらく改装工事をしていて、ちょうど震災が起きた2011年3月に完成となったばかり。工事前は、天守閣の瓦の色が黒だったのですが、もともとは赤瓦葺であったので、明治時代に解体される以前の赤い色の瓦に復元された、と。せっかくリニューアルオープンしたのに観光客が激減していて、この瓦の色が変わってることを知ってる人があまりいない状態で、もったいなかった。その後、徐々にテレビなどでも紹介されるようになりましたが。

のんびりと、鶴ヶ城や飯盛山などを散策。地元の友人にも会った。夏休みのイベントとして、後にTEDカンファレンスで演技を披露することになるヨーヨーの達人・BLACKさんが来ていたらしい。直接お目にかかることはできなかったが、いろんな人たちが東北支援のために訪れているのが嬉しかった。

さざえ堂にのぼってくらくらしたり、おすすめされた「会津の雪」っていうヨーグルトが濃厚で美味しかった。太郎焼総本舗というカフェでゆったりしたり。

ずっとツイートしながら会津若松を巡ってたんだけど、今から思うとこの体験が、僕の「旅ライター」としての原点なのかもしれないと思います。その場所を訪れ、いろんなものを見て、体験しつつ、その場で文章と写真をまとめて記事にしていく、と。

あの頃はまだまだいろんな意味で未熟だったけど、今ならもっと違った記事を書けるかもしれない。なので、近いうちにまた福島や会津若松にも訪れようと思います。

■「国内旅行振興キャンペーン」について
僕がこの時参加したのは、観光庁主導による官民合同の「国内旅行振興キャンペーン」というもの。国内旅行モニターを募集していたので、思い切って応募してみました。ブロガーとして本格的に活動しだしたのが2010年の終わりくらいだったので、まだホントに駆け出しの頃。選ばれた時は嬉しかった。

行き先は、会津若松以外にも、仙台や鬼怒川、伊勢、北海道、宮崎、出雲など、必ずしも東北だけではなかったようです。ただ、僕は国内旅行振興が目的ならば思い出やゆかりのある福島に行きたいと思ったので、会津若松を選びました。

この時、主導だった観光庁は、2008年に設置された国土交通省の外局の一つ。「日本の観光立国の実現に向けて、魅力ある観光地の形成、国際観光の振興その他の観光に関する事務を行うことを任務とする」ということで、とにかくとりあえず、観光で盛り上げよう、と。なので、このような旅行モニター企画も実施したのですね。
モニター旅行をした当時は、どんな団体が後援してくれてるのかいまいち良く分からないまま旅をしてましたが、「公益社団法人 日本観光振興協会」というところがサポートしてくれていたようですね。こちらも、観光をテーマに各種事業や国際親善などを行う、と。

僕が直接やりとりをしていたのは、当時Fans:Fansというブロガーリレーションサービスを運営していたアジャイルメディア・ネットワーク(AMN)社です。AMNさんには、この後も本当にいろんな案件でお世話になりました。カナダ観光局さんの企画でカナダ ユーコン準州のホワイトホースへオーロラを観に行けたのも、ニュージーランド航空さんよりエアチケットをいただいてロトルアを訪れることができたのも、AMNさんのサポートのおかげ。いや、もうホント感謝でいっぱい。ブログや記事を書くのが恩返しだと思ってるので、これからもどんどん書きますよ。

あれから5年経って、旅メディアにも寄稿する機会をいただいたり、勝手にあちこち旅をしたり、たまにご招待いただいたりしつつ、いろんな場所を訪れてきました。観光客としてついつい一過性の思い出となりがちな旅を、いかに自分の中で定着させて、その地域とつながりをもたせるかというのが最近のテーマ。たまたま訪れたその場所を表面的に理解するだけではなく、そこに至った歴史やなりたち、そこにいる人々についても知りたいと思うのです。地域の根っこを観察するような、そんな旅を目指したい。

今月は、タイを旅する予定。「タイ観光アンバサダー」として、つい先週もタイ国政府観光庁の方々と一緒に、大阪の天神祭に船で参加しました。

今年は、都内のレジャー施設をライター兼カメラマンとして取材するなど、新しいことにも挑戦しています。今後も、旅好きブロガー/ライターとしていろんなことにチャレンジしていきますよ。
by t0maki | 2016-08-04 08:55 | ライフスタイル>旅 | Comments(0)