書くということについて語ること
2016年 06月 17日

今、テンプル大学でクリエイティブ・ライティング(ICW102)の講義を受講してます。夏学期の間、毎週金曜の夜だけ学生さんやってます。生涯学習のクラスなので、クラスメイトはみなさん社会人。
そこで学んでるのは、小説の書き方。授業も課題も全部英語の環境で、久しぶりに本気の勉強は楽しい。
そこで学んだことや、クラスに参加してみて思ったことなど。
文章、特に小説を書く上で、以前から「なんとなくこんな感じかなー」と思ってたことをしっかりはっきり体系立てて目の前に出してくれる感じ。「あぁ、こういう風に書けば良いんだ」、と。それは書くモチーフであったり、プロセスであったり、あるいは文のリズムであったり。つまり、クラスでの体験そのものが「目からウロコ」なわけです。この感覚、めちゃめちゃ楽しい。
学んだこと。クリエイティブに書くための基礎とかやり方はいろいろあるけど、最終的には自分が書きたいように書けば良い。書く目的が、例えば本を売るとか、書いた本で有名になるとかだったらそれを目指した書き方があると思いますが、書きたくて書くんだったら、書きたいように書くのが1番だと、個人的にも思います。
それにしてもあれだ、オレの英語力、落ちてるなー、と。読むスピードは遅いし、読解力も全然足りて無いしで、ヒーヒー言いながら授業に出席してます。まぁ、それもまた「勉強してるなー」って感じでめっちゃ楽しいんですけどね。
今日でちょうど、学期の折り返し地点。最終課題として書く小説(の一部)のアウトラインを提出することになってます。
「英語で小説なんて書けるかなー」と、最初は心配してましたが、今は書きたくて書きたくて仕方が無い。書きたいものがありすぎて困るくらい。今までも、小説っぽいものは断片的に書いたりもしてましたが、こうなってくるとじっくりどっしりしっかりしたものも書きたくなってくる。
書くって、面白い作業ですよね。頭ん中の想念を絡め取って、一本の糸にしてそれを紡いでいくみたいなイメージ。これが、僕は小さい頃から好きで、いつもなんかどっかに書いてた。大学でアートを専攻してた時も、気づけばスケッチブックが日本語英語ランダムちゃんぽんの文章で埋まってたりも。書くという行為そのものが自分にとって瞑想に近いのかも、とか思います。その行為自体が意味のあるもの。もっと言ってしまうと、書いた後に残るものはそれほど重要ではなく、生活の中に「書く」という時間を設け、それを続けることの方が意味があるように思える。
書いてると、ゾーンに入るときがありますよね。書くことに集中して、それに没頭する。
そういえば、この文章を書いてる時も、ゾーンに入ってましたよ。乗ってる地下鉄が止まって、トンネル構内にサイレンが響き渡ってる状態で、ずっと止まらずにこと文章を書いてました。
瞑想か、迷走か、あるいは妄想に近いのかもしれないけど、こうして書き続けることそのものが、自分にとっての書くモチベーションだったりもして、こうして書いているとなんかいろいろスッキリする。
次の駅で降りる。
by t0maki
| 2016-06-17 10:15
| アート>もの書き
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