月面探査と南極観測。あの頃の「科学」について
2016年 04月 04日

もう「信仰」に近いような科学への信頼とか、希望とか。みんなが科学技術の発展と、それがもたらす「より良い未来」を信じていた時代。
先日、「船の科学館」に展示されてる実物の初代南極観測船「宗谷」を見学したのがきっかけで、1950年代後半から60年代にかけての日本の南極観測についてちょっと調べているんだけど、この時代の熱狂的な科学信仰がなんとなくアメリカの月面探査とも通じるような感じもあって、「あぁ、そういう時代なんだ」ってちょっと合点がいったり。
1964年に東京オリンピックがあって、新幹線が開通して、道路が整備され、街の景観がどんどん変わっていき、テレビでは子供たちが鉄腕アトムとか、ウルトラマンなんかを見ながら、科学が作り出すわくわくする世界を思い描いてた。
ソ連が世界で初めて人工衛星を飛ばし、月の裏側を撮影し、有人宇宙飛行や宇宙遊泳を成功させると、焦ったアメリカは国の威信をかけて60年代中に「月面に人類を送る」と宣言し、そして実際にそれを実現させてしまう。
あれから50年近くが経ち、人々は本当に幸せになったんだろうか?
超音速飛行機のコンコルドも、宇宙望遠鏡のハッブルも、そしてスペースシャトルでさえも過去の科学技術の遺産となった。
人はなんでも擬人化したがる。その方が分かりやすいからだ。
だから、未来と言えば人型の「ロボット」が登場するのがお約束だったが、実際にはコンピュータはその処理能力を飛躍的に高め、小型化し、分散し、つながっていく過程で「インターネット」が生まれた。データとネットワークという目に見えないもの。写真をアップし、テキストを投稿し、外出先から情報を閲覧するのに、この見えないネットワークを利用している。もはや、僕らの文明はこのデータ連携のインフラ無しでは考えられない。
で、人は本当に幸せになったのか?
僕はこの記事を、もうすぐこの情報ネットワークの激流の中に投下する。一瞬、誰かの目に止まるかもしれない。そしてその一瞬を過ぎれば、膨大なデータのアーカイブの中に紛れ込み、流され、沈殿する。
50年後、人はもっと幸せになっているだろうか。
by t0maki
| 2016-04-04 22:30
| 乱文・雑文
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