初代南極観測船「宗谷」の来歴が壮絶すぎる
2016年 04月 05日

東京 お台場の「船の科学館」に展示されている初代南極観測船「宗谷」。
実はこの船がものすごい数奇な運命をたどった奇跡のような船だということ、知ってました?
まずこの船は、そもそもソビエト連邦(現・ロシア)の発注によって建造された砕氷型貨物船3隻のうちの1隻であるということ。発注を受けてつくったけれど、第二次世界大戦が勃発して結局渡されずじまい。で、最初は民間会社の「貨物船(商船)」として運行していたのですが、日本海軍に買い上げられて戦争中は「特務艦」として物資輸送や測量調査の任務に従事する、と。高角砲や機銃が設置され、サイパン島やトラック島などにも赴き、飛行艇の攻撃を受けたり、潜水艦から発射された魚雷に被弾するも運よく不発弾だったりと、普通に戦争に参加。陸軍に徴傭された姉妹艦二隻は撃沈されたが、宗谷は生き残り、戦後はGHQによって大蔵省管轄の「引揚船」として海外からの引揚者合計19,000名以上もの引揚者を日本に送り届けた。
その後、海上保安庁の灯台補給船として京港竹芝桟橋沖を母港として、春は本州を一周、夏は宗谷岬など北海道、秋は九州本土や南西諸島、冬は瀬戸内海や四国など、日本国中のを巡る。
そしていよいよ、1956年に初代南極観測船として第1次南極観測に出発し、その後1962年まで計6回の南極観測に従事する。『南極物語』のタロとジロのストーリーは、この第2次観測で実際にあった事実をベースにしている。
南極観測船としての役目を「ふじ」に譲った後は、海上保安学校の練習航海で「教育船」として航海したり、海難救助出動で125隻の船から1000名以上の救助実績をあげるなど活躍し、1978年に惜しまれつつも解役・引退。
こうして、商船としてつくられながら、軍艦や南極観測船、巡視船として数々の伝説を残した「宗谷」は、修復・保存され「船の科学館」で現在も一般公開されている、と。
実際に、見に行ってきました。
▼そして、展示されてる宗谷。中に入ってみたら、ゾクゾクするような素晴らしい船。これは、惚れた。

▼宗谷の船内がヤバイ。かっこいい。

▼昔の器具ってかっこいいよな。

▼こんな操作盤とかね。

▼いい!こういうの、いいね。

▼昔の消火器、展示用。

▼伝声管。

▼8気筒エンジン。どでかい。

▼どこを見ても画になる、味がある。

▼船の歴史を感じつつ。

▼扇風機

▼なんども修復されている。

▼こういう、スピーカー脇のツマミとかね。この雰囲気はホンモノ。

▼たまらんでしょ、この感じ。当時の科学技術の結晶。

▼巨大なスクリュー

▼宗谷の船内、ため息が出る。

たくさんの人を乗せ、すごい経験を潜り抜けてきた船なんだなぁ、と。
民間の商船にはじまり、戦争で戦い、引揚船として任務を全うした後、日本を周回する灯台補給船となった後、南極観測船として注目を浴び、晩年は訓練船として航海士を育て、そして海難救助活動で数多くの人命を救っている。
こんなすごい船を展示している「船の科学館」のことをもっと良く知るために、今度「ライター」として正式に取材をしてきます。学芸員の方からどんな話を伺えるのか、今からとても楽しみ。
船の科学館
http://www.funenokagakukan.or.jp/
by t0maki
| 2016-04-05 06:50
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