多言語文化を理解するヒントは日本語の「敬語」?
2016年 04月 12日
公用語が2か国以上ある国ってありますよね。例えばカナダは英語とフランス語が公用語。フィリピンはフィリピン語(タガログ語)と英語。インドには30以上の言語があり、2000前後の方言があるらしい。アフリカの国などでも、地元の言葉以外に英語やフランス語、ポルトガル語やスペイン語などが公用語になっている国々があります。
そういう国には、複数の言語を母国語として当たり前のように使いこなす人たちがいて、すげーなと思うわけです。頭ん中、どうなってるんだろうか?と。
日本は、日本語だけ。もちろん、方言はいろいろあるけど。
日本語と英語をしゃべれる「バイリンガル」は、何か特殊技能者のように思われることもあって、実際外国語をマスターするために勉強したり、語学スクールに通ったりもするわけです。
言葉って、身に付けるものだと思うのです。もちろん、勉強して学ぶことも重要ですけど、もっと大切なのは生きた言葉を使いながら身に付けること。人間は、成長しながら言葉を身に付けていきます。子供が、言葉を覚えていく過程を想像してみてください。最初はたどたどしい言葉で、語彙力も低く表現も幼いですが、少しずつ言葉を覚えていくと、豊かで複雑な表現もできるようになっていく。言葉を使いながら、身に付けていく、と。
この過程を理解するのに、一番わかりやすいのが、「敬語」だと思うのですよ。最初は誰でも敬語は苦手。でも、いつの間にか扱えるようになってくる。そして、無意識のうちに相手に合わせてくだけたしゃべりと敬語を使い分けることができるようになる。
これって、実はちょっと多言語文化における言語の習得と似ていると思うのです。話す相手によって、言葉を使い分けるっていくこと。相手が英語をしゃべるならば英語で応対。フランス語ならフランス語で。それを、自然と行うことで、それほど意識しなくても複数の言語を自在に使い分けることができるようになります。
僕は日本語が母国語で、高校を卒業するまで英語を使ってコミュニケーションをとったことはほとんどありませんでした。むしろ、学校の英語の授業が大嫌いで、あまり勉強にも熱が入らず、英語の成績もビミョー。ところが、高校3年の時に突然留学を決意して、日本を飛び出して海外の大学へ。留学するためにアメリカ行きの飛行機に乗ったのが、僕にとって初めての海外旅行。それから4年間、アメリカのネバダ州にある州立大学で日常的に英語を使いながらアートとスペイン語を学び、卒業後1年間はロサンゼルスで写真の仕事をしてました。
1999年に5年間のアメリカ生活を終えて日本に帰国し、スペイン語はほぼしゃべれなくなってしまいましたが、英語はまぁそこそこはまだ使える感じ。2013年にブログの企画で、3か月の受験トレーニングの後に一発勝負でTOEICを受けた時は、965点取れました(999点満点中)。
言語って不思議だなと思うのは、例えば洋画のDVDを観ている時に、うっかり字幕を表示し忘れた状態で見ていたとしても、普通に意味が入ってくる。誰かが会話している言葉を聞いている時は、それが何語であるかをあまり意識せず、普通に意味が頭に入ってくるんですね。
ただ、自分が話しかけられたり、あるいは誰かに言葉で伝えようとするときには、その言葉が何語であるかは意識してやりとりしている。相手がアメリカ人で英語を話す人なら、こちらも合わせて英語でしゃべる。ただ、向こうが日本語が上手であれば、会話が次第にちゃんぽんになってくる。その場合でも、きちんと意思の疎通はできているし、お互いがお互いの母国語を使って2か国語でしゃべっている時の方がスムーズに会話が通じたりもする。
これを英語じゃなくて敬語で例えると、カフェで周囲の人が会話しているのを聞いている時、どの人が敬語を使ってしゃべっているかとかはあまり意識していないけど、会話の意味は入ってくる、みたいな。正し、自分が受け答えをする時は、敬語をある程度意識しなければならない、と。
そういえば、ハーフタレントの人とかで、敬語が苦手な人がいますよね。英語が完璧で、日本語も上手ですが、敬語がうまく話せない。それは、今まで敬語を使う習慣が身についていなかったから。日本人でも、敬語が苦手な人はいます。使う機会がなければ身につかないし、せっかく覚えても使わなければ忘れる。
言葉って、そんなもんです。
by t0maki
| 2016-04-12 18:50
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