生まれて初めての落語体験『シェアする落語 第4回 春風亭正太郎』
2013年 09月 16日

実は、生ライブで落語を見たのって、生まれて初めて。
四家さんが主催する『シェアする落語 第4回 春風亭正太郎』に行ってきました。




参加するきっかけになったのは、前回の「シェアする落語」がフェイスブックやブログ等で「シェア」されているのを拝見して、これは面白そうだなぁ、と。伝統芸能として、ソーシャルメディアとは縁遠いイメージのある「落語」のイベントを気軽にシェアするってコンセプトが斬新だと思ったので今回はじめて参加させていただきました。
実際に拝見してみて、その高座の迫力にまずびっくり。
話が盛り上がる場面で落語家さんが声を発する際に、和装の上から分かるくらいに腹筋がググッと固くなって、どわっという迫力で会場に声が響く。
声量だけでなく、緩急のつけ方とか、間の取り方とか、こういうのってやっぱり修行と鍛錬の賜物なのでしょうね。仕草、表情、扇子や手ぬぐい等の小物の使い方。本物の「芸」っていうのは、こういうことなのか、と素直に感心。
もちろん、話の内容も面白いだけでなく、時にホロリとさせるような場面もあったり。
「ストーリーテリングの手法として完成されてるなぁ」なんて、冷静に分析している風を装いつつ、ホント単純に楽しみました。なるほど、落語って面白い。
そもそも僕は落語自体が初心者なので、「春風亭正太郎」さんっていう方がどのくらい有名な方なのかも存じ上げないまま拝見してましたが、懇親会で周りの皆さんが口をそろえて「初めて見た落語が正太郎さんだなんて、あんたラッキーだよ」っておっしゃってたので、僕は素直にそれを信じます!
にしても、皆さん落語にお詳しい方たちばかりで、懇親会で飲みながら伺った数々の落語家さんのお名前、とてもじゃないですが全然覚えきれませんでした……。
一つ記憶に残った落語に関するトリビアとして、落語家さんが話の途中で上着を脱ぐのって、ストーリーが本題に入った時って思われがちですが、本来の意味としては上着を脱いだら舞台袖の方に投げておいて、後に話す順番の人が準備できたらその合図としてすっと引っ込めるという意味が元々はあったらしいですね。今は、舞台が広くなって投げるのが遠すぎてやらないって。
で、その話を伺ってちょっと疑問に思ったことを懇親会で直接正太郎さんに伺ってみました。後ろの人が来る合図があるまで話を続けるってことは、落語の持ちネタって、その場によって話し方やストーリーの長さも変えられるんですか?と。
で、正太郎さん曰く、ストーリーによっては、話の中のエピソードや会話を付け足したり繰り返したりして、ある程度自由に持ちネタを話す長さを変えられるそうです。
例えばこれが映画だったら、撮影・編集して完成した映画は、どこの劇場で上映しても中身は全く同じ。けど、落語の場合は同じ落語家さんの同じネタでも、場所や日にちが違うと、内容もちょっとずつ変わっている場合がある、と。
ストーリーというコンテンツがあって、落語家さんはそれを再生するプレーヤー的な存在。ただし、機械的に再生するのではなく、その人ならではの持ち味を生かしつつ、少しずつ少しずつ芸を磨きながら、時代に合わせて進化させながらストーリーを語り、伝承していく。それがもう、何百年も続いているわけです。
そんな意味で、落語って面白いし、奥が深い。
正太郎さんは、持ちネタが80個くらいあるとのこと。そのうちの4割は直接の師匠から学んだ内容で、他の6割は別の師匠から教えてもらったもの。昔の時代は「三遍稽古」って言って、師匠から3度聞いて覚えたらしいですが、近年はレコーダーで記録しつつ、仕草やメモなども含めて「ネタ帳」にまとめているそうです。
落語初心者なの良いことに酔いに任せて好奇心丸出しの僕の質問に、丁寧に答えてくれた正太郎さんも、周りの方々も、ホントに落語を愛する人たちばかりでした。正太郎さんはご自分で「落語オタク」っておっしゃってましたが、これからも芸を磨いてさらにたくさんの人たちに落語の魅力を伝えてくれると思います。
というわけで、僕もにわか落語ファンとして、とりあえず身の回りの人たちに「落語、面白かったよー」ってシェアさせていただきます。
by t0maki
| 2013-09-16 11:42
| ブロガーイベント
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