
それは、天国や地獄のことではなく、自分がいなくなった後も存在し続けるこの現実の世界、未来のことである。自分の死後も継続するこの世は、まさに自分にとって「死後の世界」だ。
歴史を見ると、文明が発達してそのピークを迎える時に、一般的に死を恐れる人間が増えるらしいということに気づく。それは、文化の発達によって「死」について考える時間をより多く持てるようになるためなのか。あるいは単に社会の発展のために自分の人生を無駄にした人間達の生への未練のためなのか。
いや、文明のいかんに関係なく、誰もが皆一様に死を恐れてはいるのだろう。ただ、文明が発達するとむやみやたらと延命を試みる人間が増えるのは確かだ。
古代エジプトの貴族や金持ち達は、死後の世界での復活を望んで、肉体をミイラ化して保存した。ここで言う「死後の世界」とは、もちろん天国を意味するのではなく、現世の「未来」のことだ。ちょうど現代人が不治の病の治療法が発明されるまで、肉体を冷凍保存しようとしたのと同じように、彼らは乾燥させることで肉体を保存しようとしたのだ。残念ながら、3000年以上経った現代でも、死者を生き返らせることはできていない。
ここから導き出される教訓は、--当たり前といえば、これほど当たり前のこともないのだが--「死は逃れようのないものだ」ということ。
文明に踊らされ、日々をひたすら快楽的に過ごすのもいい。
与えられた価値観の中で、小さな優越感を求めるのも悪くない。
ただ僕は、限りあるこの人生を、悔いの残らないように精一杯生きたい。
それだけだ。