奥会津の木地師について考えてたら、現代のノマドを連想した
2012年 07月 05日

さて、民族文化映像から学ぶ全5回シリーズの3331 Arts Chiyodaのアートスクール『ARTS FILED TOKYO』によるレクチャーイベント。第3回目の今回は、『奥会津の木地師―福島県田島町針生―』の上映と、ディスカッション。
木地師っていうのは、山を渡り歩きながら木でお椀を作る職人の事。
居場所を移るたびに、制作の拠点となる「家」を建てるところから始めるっていう、なんとも気の長い話だけど、ライフスタイルと仕事と環境が見事に全て合致したその生き方って、現代人の俺らからすると眩しくも羨ましくもあり。
移動しながら仕事をするってことで、なんとなく「ノマド」を連想しましたよ。
アウトプットが木のお椀で材料となる木を求めて移動し続ける木地師と、ネットを介して仕事をするナレッジワーカー達って、全く異なる職種であるのに、何か根底にあるところで共通項があったりするのが面白いかな、と。土地に縛られることなく、ある程度自由に自分の働くスタイルを決められるっていうのは似てますよね。
多少強引ですけど、そんなことを考えました。
小屋に水路を引き、ライフラインを自分らで確保するってスゴイと思います。
電気がいらない時代のこと。轆轤も電動では無く、手引き轆轤ですからね。
電気がない生活なんて、僕らにはもう想像すらできないかもしれない。
水を確保するのが課題だったのと同じように、現代は電源とネット接続の確保が重要、と。
集団生活の中での共同作業。昔は同じ集落の中に限定されてたけど、現代はインターネットで繋がっていれば、場所や国さえも関係なく、同じプロジェクトを遂行することができる、と。
世界各地のエンジニアやプログラマが一つのプロジェクトチームとして働いたり、あるいは人件費の安いオフショアでの開発を行なったり。クラウドソーシングっていう協業形態とか。
なんかイマイチ考えがまとまらないけど、時代の変遷と共に働き方は変わって来たけど、本質的なところでは変わらないものがある、とか、そんな感じかなぁ。
ちょうど僕も、昨年から今年にかけて、廃校の教室を「共同アトリエ」としてそこを居場所にして創作活動をしたのだけど、出先からでもメールを使ってアトリエのプリンターへいつでも写真を送信して印刷できるようにしてたり、ソーシャルメディアでつながったり、インターネットの出現によって場所っていう感覚が変わったのは間違いない。でも、結局、オープンスタジオや終了展では、実際にその「場所」に人がフィジカルに集まって、作品や経験をシェアしたワケだし、そういった意味では変わらないものがある、と。
話がまとまらないままだけど、所感としては今回はそんなところで。
レクチャーも中盤になって、会場には常連さん達もいて、なかなかディスカッションも面白くなってきました。僕は、なんとなくその場の思いつきでしかしゃべってないけど……。
次回の上映会は、7月27日(金)。アイヌの家づくりを記録したドキュメンタリー作品を見ながら。この作品も楽しみです。
▼前回までのブログ記事はこちら
からむしと麻の映像ドキュメンタリーで「ものの価値」と「技術の継承」について考えた
http://tomaki.exblog.jp/18132616/
『民族文化映像研究所』上映会&トークで自然との共生について考えた
http://tomaki.exblog.jp/18132217/
▼今回のレクチャーイベント
民族文化映像から学ぶ基層文化、日本の未来10原則 vol.3
http://artsfield.jp/lecture/000234.html
▼そして、次回はこれ
民族文化映像から学ぶ基層文化、日本の未来10原則 vol.4
http://artsfield.jp/lecture/000239.html
by t0maki
| 2012-07-05 23:59
| アート
|
Comments(0)