その縁や結びつきに意味を見いだすかどうかは自分次第ですが

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以前から何度か書こうとして、どうしてもうまく書けなかった自分の体験があります。
思い出すのが辛いとか、自分の中で整理がついてないとか、そんな感じ。

でもまぁ、完全でなくてもなんとか文章にして形に残すことが重要かな、ということで、今日はなんとか勢いで書いてしまいたいと思います。うまく書けるか分からないし、書けたとしても書きたいことや書くべき内容とはズレてしまうかもしれませんが、なにはともあれとりあえず。

 * * *

大学卒業6週間前に、親しい友人を亡くしました。
交通事故で、あっけなく。

その出来事をあまりドラマチックに書き立てる気はないですが、自分にとってかなりショッキングな出来事でした。
呆然として、混乱して、でもだんだん事情が飲み込めるようになってからは、喪失感と同時になぜか罪悪感も。

ハイウェイの路肩に車を停めて、そして車道に戻るときに大型トレーラーが横から突っ込んできた、と。タイミングが悪かったとしか言いようがない事故。
彼女が事故死したっていうニュースが流れたとき、なぜか僕は、彼女が僕の身代わりになって死んだんじゃないかっていう気がして……。

その頃、僕はかなりいろんな面で行き詰まっていました。卒業後の進路が見つからず、なんとかジタバタしつつも解決の糸口すらつかめず、苦しい胸の内を別の親しい友人に打ち明けた事もあります。
その友人が、事故の後に僕に言ったんです。
「誰かが亡くなったらしいっていうニュースを聞いたとき、私はあなたが自殺でもしたんじゃないかと心配したのよ」と。

事故死した僕の友人は、実家がアクセサリーや時計などを扱うお店をやっていたため、大学卒業後は宝石の勉強をしつつ資格を取るために、宝石の専門学校に進む予定でした。
自分の夢に向かって、きちんと将来の計画を立てて着実にそれを実行している彼女。
一方で僕は、全く先の見えない中で無駄に焦ったりジタバタするだけで全く結果が伴わず、友人からは自殺してもおかしくないと思われている状況。

どう考えても、この状況で死ぬべきは僕の方だったのではないか、と。

事故があった道路は、砂漠の湖に通じるハイウェイで、そこは僕のお気に入りの場所でした。
友達と一緒に遊びに行ったり、気が向いたときに一人でドライブしたり。一度、自転車で行ってエライ目に遭った経験は、以前ブログにも書きましたが。

僕が運転する車で、彼女を連れて行ったこともあります。友人二人にモデルになってもらって、その砂漠の湖で写真を撮りました。撮影中、砂漠には珍しいスコールが降って、カメラマンの僕は一人でテンション上がってシャッターを切りまくってたけど、帰りの車中で冷静になってから僕は「ずぶ濡れになった友人二人には申し訳なかったなぁ」と反省した思い出。

もしかしたら、なのですが。もし僕が、彼女をその砂漠の湖に連れて行ってなかったら、彼女はその日その砂漠の湖に行くことも無かったのではないか、と。僕が連れて行かなかったとしても、彼女がその砂漠の湖の存在を知っていたとは思います。でももしかして、僕が連れて行ったせいで、彼女がその日、その砂漠の湖を訪れることを決めて、その帰りに事故死したのだとしたら……。


彼女の死を知って、僕はなんとか彼女の夢の分も頑張らなければ、と、アメリカに残ってもうすこしジタバタする決心をしました。全く先が見えないのには変わらないけど、とりあえずとことん行けるところまでは行ってみよう、と。
まず僕は、大学卒業後一年間だけ有効な就労ビザを申請しました。申請が遅かったため、卒業式までに間に合わず、僕は卒業したのにもかかわらず、夏期二週間だけの短期クラスを受講しました。ギャラリースペースを使って自由にインスタレーションの作品展をするというちょっと変わったクラスで、その時クラスを担当してた教授が、たまたまデジタルメディアアートを教えている先生だったという縁で、その教授に頼んで僕はラボにあるデジタルアート制作用のパソコンや周辺器機を使わせてもらえることになりました。
大学在学中はアート学部のクラスを片っ端から受講していたのにもかかわらず、なぜかデジタルアートだけは無縁で、この時初めて僕はPhotoshopに触れました。

就労ビザを手に入れてからは、僕はアメリカの西海岸を転々としながら職探しの旅を続け、ようやくロサンゼルスのダウンタウンにある宝石デザイン会社で、広告用に宝石アクセサリーの写真を撮る仕事に就くことができました。そのスタジオには高価な撮影機材があり、それを使って撮影やデジタル加工などを実地で学びながら身につけていきました。

ある日、デザイン室の本棚にある一冊のパンフレットが目にとまりました。
手に取ってみると、それはまさに事故で亡くなった彼女が生前に僕に見せてくれたのと同じ物。彼女が卒業後に行くはずの専門学校のパンフレットでした。


就労ビザ満了とともに、僕は日本に帰ってきて、ロサンゼルスで培ったITスキルを活かしつつ、プロバイダー勤務を経て、現在はWEB制作の現場で働いています。


皮肉なことに、大学四年間のアートの勉強は全く就職には結びつかず、たまたま卒業後に受講したたった二週間のクラスでデジタル作品を制作したことが、現在の仕事に結びついています。
もしあのときアメリカに残る決心をしていなかったら。たまたま受講したクラスでPhotoshopに触れる機会がなかったら。ロサンゼルスで写真の仕事をしていなかったら、今ここに自分はいなかったかもしれません。

なんとなく、縁というか、結びつきというか、時に不条理に見えることでも実は大きな視野で見てみるといろんなところでつながりがあるのかもしれないなぁ、と。そのつながりを見つけるか、無視するかは、その人次第でしょうが。

なんかうまくまとまりませんが、とりあえず書きたかったのはこんなところです。
まだ僕自身、現在進行形で色々試行錯誤しながら、無駄にジタバタしながら今も生きています。今までの出会いとか、縁を大切にしつつ、自分にとって正しいと思える道を進んでいきたいと思っています。

とりあえず今日はそんなところで。
by t0maki | 2012-05-06 11:58 | Comments(0)