「アート」について思うこと

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「アート」っていう言葉を聞いて、何を思い浮かべます?
画廊や美術館に並ぶ絵画?なんだかよく分からないけど、コレクターが高値で取引する美術品?公共アートとか、何故か裸婦像が並んでいたり、と思うと奇っ怪でばかでかい彫刻作品とか。

大学で、僕はアートを専攻してました。陶芸彫刻に籍を置いて、それこそもう片っ端から平面も立体も写真も取りたいだけクラスを取って、アートについて学んでました。

アートの歴史を学び、現代アートの意味とか方向性とか。自分のスタイルを見つけて、インパクトのある作品を作り続ける事が大事だと教えられて、自分なりに試行錯誤を続けながら作るべき作品を模索し続けたり。
コンセプトのないアート、自分の本質に根ざしていない作品に価値はなく、真のアートは趣味の工芸などのクラフトとは明らかに一線を画すものであり、テクニックだけで描く風景画はアートとして認めない、など。
でも僕は、当時からそんな「アート」に対して、何かしらちょっとした違和感みたいなのを感じてました。

卒業して僕は写真の仕事を経てWEB制作の道に進んだワケだけど、いまだに「日曜アーティスト」を名乗って気ままな創作活動を続けています。
こうして、僕は職業アーティストではないけれど、ずっと一貫して俯瞰的に「アート」というものを眺めていて、僕なりに「アート」について思うところがあります。

今日はそんなところを書いていこうか、と。

確かに、世の中には美術館に飾られて大勢の人が見に来るようなすばらしい作品はあるけれど、僕にとっての「アート」ってそういうものだけでなく、人の手によるものは全てアートであり得ると思うのです。
というのは、アートがアートである条件って、実は作り手の意図だけではなく、観客の見方次第なのではないかな、と思うから。アーティストと呼ばれる人たちが作った作品だけが、アートではない、と。たとえば、街を歩いていてふと目にとまった手描きのサインが良い感じに色あせていて、「あぁ、これはアートだな」と感じる時があります。都市風景そのものであったり、山の中の石像であったり、張り紙であったり、なんでもいい。見る人が「アートだな」と思えば、それはその人にとってアートなワケです。
別に、画廊や美術館にあるものだけがアートではなく、町中いたるところに、アートは存在するよ、と。少なくとも僕にとっては。

こうしてアーティストとして名を残そうっていうような野望とは無縁のところで地味に活動しているワケですが、でも僕はかなり確固とした意志を持って「アート」に向き合ってるつもりです。自分の目標は、「一生つくり続ける」っていうこと。

何をつくるかなんていうのは、僕にとってはたいしたことじゃない。その時その時で、つくりたいものをつくる、と。消しゴム版画やおもちゃでつくる缶バッジとか。ガムテープで作品をつくったり、なにやら思いつきで企画をしてみたり、こうして週末の夜中に他愛のないブログ記事を書いているのも、自分にとっては大切な創作活動なのです。

今月から、3331 Arts Chiyodaっていう、元中学校だった建物の教室を「アートスタジオ」として使わせていただけることになったので、時間を見つけてはせっせとつくりたいもののネタ出しをしたり、徐々に「アート」な活動を始めたりしています。思いつきのラクガキとか、基本的に子供のお絵かきとかねんど遊びなんかと大差ないですが、それはそれでありかな、と。

こういった活動の全てが、自分にとっての創作活動であり、「アート」なのです。
by t0maki | 2011-11-20 02:23 | アート | Comments(0)