「9.11」から10年。僕らが生きてる時代について

「9.11」っていう日が特別な意味を持つようになってから、ちょうど10年が経つんだね。やっぱり今日は、そのことについて書いておかないといけないよな。

ちょうど10年前、僕はテレビのない生活をしてました。だから、アメリカの同時多発テロの情報も、翌日職場に出社してから初めて聞きました。外国人の多い職場だったのと、お客様にも多国籍企業のクライアントが多かったため、アメリカのテロのニュースも普通の職場よりもインパクトは大きかったと思います。当時はワンセグもなかったので、誰かが持ち出してきたテレビをオフィスで流しっぱなしにしてたのを記憶しています。

僕はその日職場で普通に仕事をしてましたが、なんとももの悲しい気分になりました。どんな理由があるにせよ、どんな力が働いてたにせよ、こんな事件を起こしてしまった人間という生き物は、もうこの地球上に存在する価値もないのではないか、と、ちょっとの間本気でそう考えていました。
「9.11」の後、助け合い、いたわり合う人たちの姿を見て、その考えは変わりましたが……。

当時、日本で働く海外の方達と一緒に週末など米軍の施設でソフトボールをしていたのですが、アメリカのテロを受けて一気に警戒態勢が高まり、ある日いつものように試合をするためにグラウンドに訪れたらところ、施設全体が閉鎖されていて誰も入れなくなっていました。事前に登録申請している僕らでも問答無用でシャットアウト。なんか、海外の事件と思っていたことが実際にリアルに目の前に突きつけられた感じで、怖くなりました。

でも、よく考えたら日本も飛行機で敵に突っ込むなんてことをしてたんですよね。人間って、すばらしい文明や文化を創り上げることができる生き物なのに、また同時にそれを一瞬で壊す力も持ってる。全くもって不可思議な生き物だと感じます。
人間の限界っていうのは、他人の痛みを自分の痛みと同様に感じることができないってところにあるんじゃないかな、と。人の痛みが分からないから、他人を傷つけて平気な人がいる。他人の思考を自分のものとして理解できるようになれば、もっと思いやりをもつことができるんじゃないかな。

でも、不完全ながらも人間はコミュニケーションを取る能力があります。言葉だけでない、音楽や芸術など、たくさんの伝える力と、それを感じ取る力。人間が全部、冷徹に人を殺せる者達ってわけじゃない。きちんと、他人の痛みを自分のもののように感じることのできる人たちもいるワケです。

幸せになりたいっていう思いは、みんな同じ。ただ、他人を不幸にして自分だけ幸せになるのではなく、みんなが幸せになれる方法を、そろそろ真剣に考えても良い時代が来てるんじゃないかな、と、まるで宗教でも作ろうとしているかのような話の流れですが、僕自身は特定の宗教を信じているワケではなく、ましてや宗教を作ろうなんては毛頭思ってもいないですが、でも確かに「神」という存在はいろんな形で存在しているというのは実感として理解していて、さらに歴史の流れなんかを見ていると、僕らは何千年という周期で大きな円を描きながらコマのように回転しているんだなぁというのを目の当たりにすると、やっぱり今の僕らの時代はなにか大きなうねりの転換期なのではないか、とも思うわけです。それは世紀末とか終末とかいうものでもなく、ゆっくり動く往復回転運動の行って戻ってのごく自然な振り子のような動作に過ぎない、と。今までの価値観が緩やかに変わっていって、ゆっくりと方向転換をしていくような。そんな時代に、僕らは生きているんじゃないでしょうか。

うーん、相変わらず文章はまとまらない上、根拠のない直感みたいな意見だけど、僕なりに時間をかけて真剣に考えた結果、今はそんな風に思っています。

「9.11」からだいぶ話題がそれたけど、今日はとりあえずそんな感じで。
by t0maki | 2011-09-11 23:35 | 乱文・雑文 | Comments(0)