「神田・幽霊坂」に深夜訪れてみたら……

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会社の近くに「幽霊坂」ってのがあって、ずっと前から気にはなってたのですが、今回わざわざカメラを持って、深夜に撮影(肝試し)に行ってきました。

調べてみると、もともと昔「幽霊坂」って呼ばれてたのをわざわざ「紅梅坂」って改称して、それがどうしたワケだか大正13年の区画整理で坂が二つに分かれた際に、また再び「幽霊坂」が復活したっていう、なんとなくそのいわれもいわくつきみたいな感じの坂です。っていう前置きは早々に切り上げて、さっそく体験記を。

 * * *
 
それは、もわっとした生暖かい空気が身体にまとわりついて、まるで誰かの口の中にでも閉じ込められているような、気味の悪い夜でした。

「幽霊坂」へ行って参りました。

街頭のオレンジ色の光に照らされた無機質でのっぺりとした建築用の柵が延々と続く「再開発中」の通りをゆっくりと上っていきますと、ちょうどどん詰まりの曲がり角のところに一本の標識がぽつんと立っています。

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「あ、ここが幽霊坂だったのか」
上りきってから初めて気づき、改めて今来た坂道を見下ろしましたが、特にこれといってどうってことのない坂道です。

むしろ、「幽霊坂」というその標識に書かれた文字の方に超現実的なちょっとした違和感を感じます。

標識の裏の文字は、なぜか表と違って全体的に褪せて消えかかっています。かすれた「幽霊」の文字が、何か本当に見てはならないものを見ているかのような形のない恐ろしさと後ろめたさのようなものを感じました。

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標識の下に目をやりますと、薄暗い中に細かい文字で、その坂の由来などが書かれておりましたので、ここに判読できた文章を転記いたします。

「この坂を幽霊坂といいます。もとは紅梅坂と続いていましたが、大正一三年(一九二四)の区画整理の際、本郷通りができたため二つに分かれた形となりました。『東京名所図会』には、“紅梅坂は”“往時樹木陰鬱にして、昼なを静寂たりしを以て、俗に幽霊坂と唱えたりを、今は改めて紅梅坂と称す”とかかれています。また古くは光感寺坂とも埃坂などとも呼ばれていたこともあるようですが、一般には幽霊坂の名でとおっています。」

再開発のため、辺り一面ことごとく工事中でしたので、当時の往事でも「陰鬱」なる樹木がもう残っているようには見えませんでしたが、大きな通りに面した角地にある背の高い石垣の上に、なぜか取り残されたかのように、あるいは何らかの意思によって伐採を禁じられているかのように立つ古木らしきものがありましたので、あるいはこの木はその当時の幽霊坂たる様子を記憶しているかもしれません。

私は、誰も通らないその坂道の上り口で、しばし写真を撮影しておりました。
まぶしいくらいに明るいそのデジカメの液晶で撮った写真を確認していた時、ふと全身を何とも言えない悪寒が走りました。

「ちょっと待って、何かがおかしい」

そこに、写ってはいけないものが写っているのです。
写してはいけないもの。そこにあるはずの無いもの……。

どことなく寂しげな、人影が。
見えますか?ちょうど標識の左下あたりに……。

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ハイ。ボクでーす。街灯を背にしてたので、写真に影が入っちゃいました。

ここらへんは、会社から近いのでランチ休憩中などの散歩コースに使っています。ここを抜けると、ニコライ堂が見えたり、近くに湯島聖堂あったり、もうちょっと足を伸ばすと神田明神も。実は秋葉原からもすごく近いので、ぐるっと歩くとそのあまりのギャップにクラクラしますよ。

「幽霊坂」っていう名前の坂は、全国あちこちにあるようです。
都内の「幽霊坂」を巡るツアー、なんてのは、どうでしょうか?昔の古地図と見比べたりしながら散策するのは、面白いかもしれませんね。
by t0maki | 2011-06-08 00:00 | 乱文・雑文 | Comments(0)