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カテゴリ:乱文・雑文( 730 )

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大学を卒業した直後、笑っちまうくらい見事に僕は全てを失いました。
「アホか」っていうほどなにもかもうまくいかなくてね、住所不定無職の状態で半ホームレス生活ですよ。
アメリカ西海岸をサンディエゴから北上しつつ、あてもなくコネもツテもないまま「職探しの旅」、と。

きちんと就職活動をしてはみたんです。ただね、わざわざアメリカの大学に留学して、よりにもよって「陶芸彫刻」を専攻した新卒生が、学んだことを活かせる職業に就くなんてなんて奇跡に近く。今でも覚えているのは、大学4年の時に学内の就職支援センターに進路の相談をしに行ったときに「アート学部の陶芸彫刻学科専攻です」って伝えた瞬間に、「あ、その学科にマッチする仕事は無いよ」って即答されたこと。まぁ、アート学部に転部をする決心をした時に、そうなるだろうとは予想はしてましたけどね。ただ、まぁ、なんとかなるだろうと考えていたら、なんともならなかった、と。

で、職探しの旅。

いつも面接で聞かれるのは、「で、経験は?」っていう質問。
「経験はありませんが、大学でしっかりとアートを学びましたので、ぜひ実践で役立てたいと思います」とか返事しても、「あ、そ。」みたいな反応で、「大学で、奨学金をもらい、受賞歴もあります」なんて伝えてもまったく無視され、「よく検討して、結果は後程連絡します」って言ってるけど、そのタイミングで「あ、ダメだ」ってわかっちゃうのね。それを何度も繰り返さなければならないのがツライ。

そもそも、面接してくれれば良い方。大学卒業のおまけでもらったような1年間有効の就労ビザしか持ってない新卒の外国人なんかに、そもそも会ってくれない。そのうち所持金は少なくなってくるし、いやもうホントにあの時は参りました。

結局、ロサンゼルスにたどり着いて、そこで油絵を教える仕事の面接を受けてあっさり落とされたんですけど、その担当者が「知り合いにデザイナーがいるんだけどそこで……」なんて話がとんとん拍子に進んで、そのデザイナーさんの所属している宝石デザイン会社の広告部門で働かせてもらうことになりました。「フォトグラファー」っていう肩書で、当時はまだ珍しかった一眼レフカメラにアダプタを無理やり取り付けたようなデジタルカメラでアクセサリ製品を撮影しつつ、デジタル加工でリタッチするという仕事。その現場でPhotoshopやWEB制作を学び、帰国した後もWEB制作業界で仕事をつづけ、現在に至る、と。

大学を卒業してすべてを失った時は、それまで努力してきたことが全部無駄になったような気がして落ち込みました。努力が必ず報われるなんてのは単なる幻想で、実際社会に出てみたらむしろ努力する人たちをいいように利用するだけの人が得をしているみたいな現場を目の当たりにして、さらに落ち込んだり。

でも、今になって思うのは、そういうとことんどん底を経験したり、無駄だと分かってても努力を続けたりするのは、結局巡り巡って自分のためにはなってるな、と。周りからの評価とか、金銭的な成功とは無関係ですけど、少なくとも自分自身は、今のところ後悔しない充実した人生を送れているなと感じます。「日曜アーティスト」としての創作活動も、ブロガー/ライターとしての執筆活動も、別に誰かから強制されてやってるわけではなく、単なる仕事の合間の趣味の延長でしかないですけど、自分としては割と真摯に本気で取り組んでたりします。

面白そうなことを見つけるとついつい飛び込んでしまって、あとでいろいろ無駄に苦労するけどその分楽しいこともいろいろあって、ここ10年、20年とそんな調子でやってきたので、この先10年、20年、行きつけるところまでとことん本気で挑戦し、楽しんでいければと思っています。

by t0maki | 2016-03-06 19:13 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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朝の6時半頃にコテージを出たら、景色が全て霧に包まれていて、なんとも幻想的。

西会津には、初めて来ました。会津若松とか、喜多方までは来たことあったんですが、西会津には来たこと無かったし、来るとは思わなかったし、そもそも西会津が新潟の県境にある町だというのも、来て初めて知りました。
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なぜ来たのか。なんとなく、巡り合わせというか、タイミングというか、何かしら共鳴するものがあってここに辿り着いたというような。

Google社が運営している東北復興支援のクラウドマッチングサービス「イノベーション東北」には以前から登録していて、昨年も石巻市雄勝の元小学校を再生する「モリウミアス」のプロジェクトに参加しました。そして今回は、西会津で元中学校を再生した「西会津芸術村」というのがあるのを知り、そこで「ジョセソン/ジョセササイズ」という除雪をテーマにした企画参加者を募集してる事を知り、飛び込んでみた、と。

実際に来てみて、素晴らしい体験ができました。建物も素晴らしいし、そこに集まった人たちも。
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霧が立ち込める露天風呂に入ったら、たまたま他のお客さんがいない貸し切り状態で、のんびり温泉の湯に浸かりながら、そこに辿り着いた道のりをひとつひとつ思い返してみたり。

「日曜アーティスト」を名乗って趣味の創作活動をしつつ、3331 Arts Chiyodaとの出会いがあり、Google社に居候社員(ベンダーとして出向)したきっかけでイノベーション東北を知り、雄勝のモリウミアスのボランティアサポートをして、今は西会津にいる、と。ひとつひとつはバラバラな点と点ですが、よく見てみると、全部繋がってるんですよね。そして、これからもその繋がりは広がってく。

もう、次の点もすぐそこに見えていて、そこからまた何かが繋がる予感。ひとつひとつの出会いを大切にしたいと思います。


by t0maki | 2016-03-06 16:24 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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そういえば、こないだプロフィールを依頼されて、こんなの書いて提出したので、ブログの方にもアップしとく。

1998年 渡米留学し、アート学部陶芸彫刻学科を卒業。写真、油絵、彫刻、プリントメーキングやアート史、スペイン語なども学ぶ。インターンとしてネバダ州の歴史博物館で働く。
1998~1999年 ロサンゼルスの宝石デザイン会社にて広告写真のフォトグラファーとして勤務。Photoshopのスキルを実務で身に付けつつ、WEB制作の基礎を学んだ。
1999~2001年 インターネットサービスプロバイダー勤務。カスタマーサポートや、パソコンインストラクター、Web制作などを担当。
2001~2012年 Webデザイナー/ディレクターとして、数社のWEB制作会社に勤務。外資系多国籍企業のWEBサイト制作や、モバイルコンテンツ制作などを担当。
2012~現在 外資系の代理店にて、コミュニケーションデザインやデジタル広告の制作管理を担当。

ブログ歴は2002年より。2010年に富士通製モバイル端末をブログレビューする「ケータイ会議」に参加し、ブロガーを名乗るようになる。2012年に「オーロラ王国ブロガー観光大使」として、カナダ観光局より招待されてユーコン準州ホワイトホースに滞在。ブログでレビューを書く。その他、AMNパートナーブロガー、レビューズ公式ブロガー、ガジェット通信 旅ライターなどを務める。「アンバサダー マーケティング」に興味があり、ナノブロックアンバサダー、Galaxyアンバサダー、Xperiaアンバサダー、格安スマホアンバサダー、スカパー!映画部、クロネコヤマト アンバサダー、Red Bull Friends、ベストカーアンバサダー、ローソンアンバサダーなどに参加し、ブログやSNSを使って執筆活動をしている。


個人ブログ:
日曜アーティストの工房
http://tomaki.exblog.jp

2015年に執筆したガジェットやグッズ系の記事などの一覧(イベント含む)
http://tomaki.exblog.jp/25144116

2015年に執筆した美術館や博物館などの記事一覧
http://tomaki.exblog.jp/25137407

2015年に「日曜アーティスト」として制作した作品いろいろ
http://tomaki.exblog.jp/25119101
http://tomaki.exblog.jp/25119161/


とりあえず、そんな感じ。

by t0maki | 2016-03-03 23:07 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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体調を崩してたせいか、どうもブログ記事の下書きが溜まってしまってる。この記事も、ずっと前に下書きに突っ込んだまま。この時、そろそろ梅が咲きそうだったんだけれど、今はもうとっくに咲いてんだろうな。
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あと、この大量のお雛様は、毎年飾られてます。
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大量のお内裏様とお雛様。三人官女は何十人もいるし、五人囃子はいったい何人囃子なんだろう。

今週末は、溜まってるブログ記事を仕上げて、アップしよう。他にも、書物系のタスクも溜まってるし。


by t0maki | 2016-02-26 23:56 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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ときどきさ、ブログを書いてて思うんだけど、タイトルってなんか邪魔くさくなる時ない?なんか、レッテルを貼られる感じで。ホントに伝えたいことはこれじゃないのに、もっといろいろ伝えたいことがあるのに、タイトルつけたらすごく陳腐な感じになっちゃうの。で、自分の中でも大切だった文章が単なる見出しと本文になっちゃったりね。

で、ですよ。そんな時にタイトルなくても文章がアップできるSNSがあったら良くない?実はあるんだよね。ShortNote、良いですよ。変に飾らなくて良いし、ありのままをさらけ出しても受け止めてくれる感じ。文章を書くのが好きな人たちが集まってる気がする。

どちらが良いってことではなくて、それぞれいろんな場があって、そこにいる人たちも違うってこと。

でもまぁたまには、タイトルつけずにブログにも文章をアップしたくなるのである。

by t0maki | 2016-02-26 00:57 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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気づけば、周囲に同じ名前の人ばかりが集まってくる。どこかで聞いたことのある名前の人ばかり。そして、最終的には全員が同じ名前になる。スーパーの渡辺さん。交番の渡辺さん。飲み屋のナベさん。確か、自分の名前も渡辺だったかもしれない。

すれ違う人がだんだんみんな知り合いに見えてくる。人違いだということは分かってる。だって、60年前の友人が、当時と同じ容姿で現れるわけないもの。こんなにもみんなが知り合いに見える時は、逆にホントの知り合いに遭っても本人と気づかない。そっくりさんかと思ったら、実は本人だったという。

早いスピードで歩くと、感覚に認識力が追いつかないから、肉体が精神を離れて先に行ってしまい、ちょっとした幽体離脱感を味わう。自分はここにいるのに、身体が離れていってしまう。

認知症って怖いよね。でも多かれ少なかれ、年をとったら認識力が落ちてくる。脳みそがどんどん枯れていく感じ。これはホント怖い。

そんな状態で、本人は幸せなのか、不幸せなのか。感覚を認識できなければ、不幸を感じないという点で、幸せなのかもしれない。あるいは、もはや幸不幸の感覚もなく、ただ存在するだけなのか。


by t0maki | 2016-02-26 00:57 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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たとえば僕は、ニュース系ブロガー支援プログラムの「iWire」がしばらく配信されないとなんだか気になってくる。それは、そのプログラムのキックオフの際に、このサービスにかける「熱い想い」を関係者の方たちから直接伺っているから、そんなに気合いを入れてサービスを立ち上げるならきっと面白いものができるに違いない、と。単純に「応援したい」という気持ち。

一方で、「オープンプレスカンファレンス」というブロガーも参加できる模擬的な記者発表会イベントにも時々参加しているのだけれど、こちらはもう4か月も開催されてないけど、あまり気にならない。もちろん、そのサービスにかける想いも聞いてるし、自分自身ちょこっと登壇したりもあったけど、開催されないからといって待ち遠しいという気持ちにはならない。

「この差はなんなんだろう?」って考える。

単純に、「熱量」の差なのかなぁ、と。「好き」とか、「応援したい」とかいう気持ちももちろんなんだけど、それ以上の「思い入れ」。
アンバサダー・マーケティングって、そういうユーザの熱量をうまく循環させ、還元させることで、いろんなものを巻き込みつつ大きなうねりのような動きをつくりだすことができる。
と、そんな風に思うのですよ。

熱量だけあっても、それを受け止める器がなければ、一瞬温まるだけで終わってしまう。
なんか、もったいないなぁ、と思うのです。

by t0maki | 2016-02-20 01:25 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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つい先日、なんとなくネットの網目をあみだくじのようにたどっていったら、とある記事にたどり着きまして、それが亡くなった方のブログに掲載されたものだったんですね。それぞれ全くつながりが無さそうなお二方の、内容も雰囲気も全く異なる二つのブログ。ただ一つの共通点としては、それを執筆した方はもうこの世にはいないということ。

自分の葬式の準備などをする「終活」にも、きちんとSNSやネット上の文章や画像のコンテンツについての指示も入れといた方が良いんだろうなぁ、なんて思いつつ。
自分の存在がこの世から消えても、自分がつくりだしたものはそのままずっと(削除したり、サービスが終了してしまわない限りは)そこに残るのって、なんだか不思議な気もします。でもまぁ、良く考えたら手記やジャーナルを書き残してる人は、その文章は死後も残るわけで。それがデジタル化されて一般公開されて誰でもアクセスできる状態だっていう以外は、それ自体はとりたてて珍しいことでも無い。

そういえば、先日登録したベータ版のSNSは、自分が投稿した内容やコメントなどを学習していって、自分がいなくなっても更新し続けてくれるらしい。ま、そんなのもありつつ。

突然ですが、「死後の世界」って、二つの意味があると思うんですよ。
自分にとっての「死後の世界」って、たとえば宗教的なものを信じていればそこに「天国」とか「涅槃」や「極楽」、「Heaven」みたいなものがあると思われていて、善行を重ねるとそこにたどり着ける、みたいな。もちろん、無宗教で「死後は無だ」って主張する人もいるでしょう。あるいは、輪廻転生なんていう考えもありつつ。

もう一つの「死後の世界」は、これはもうただ単に自分が死んだあとの世界。つまり、「未来」っていう言葉に置き換えられるもの。
自分が死んだ後も現実の世に存在し続ける社会と、その未来。これもまた、ある意味「死後の世界」ですよね。たとえ自分が死んだとしても、日は昇りまた沈み、世界はなんら変わりなく回り続けます。当たり前ですけど。

宗教と科学って、対立するもののように思われているけど、実は同じものを違う角度から観察しているだけだと思ったりするのですよ。アプローチの仕方は異なるけど、その先にあるものは同じ、と。

ちなみに、僕は特定の宗教に入信はしていません。しかし、神様は信じています。
でもその神様は人間の形をしているのではなくて、もっと観念的な存在。信仰そのもの。信じる心を信じる、というか、そんな感じです。

で、思うのは、宗教も科学も、究極的には「人間を幸せにしたい」っていうのがその存在意義であったり、目的のひとつであると思うのですよ。人を幸せにするにはどうすれば良いか。苦しみや不安を取り除いてあげること。それが信仰であるか、薬であるかの手段の違いはあるけど、目指す方向性は一緒なはず。

えーと、何が言いたいんだったっけ?

あ、死後の世界。
死の恐怖から逃れるために、死後の世界を信じるということ。

宗教であれば、天国や輪廻転生を信じ、死後の幸せを願うってこと。
科学であれば、死後の肉体を保存・保管して、未来の技術で再生を願うこと。

「死後の世界」っていうと、なんとなく天国的なものをイメージしがちですけど、そこには自分の「死後の“未来”の世界」っていう意味もある、ということ。だから人間は、死後の科学技術を信じて自分の肉体を冷凍保存したりもする。死後、自分の存在が科学技術によって再生することを信じて。
これってあれですよね。死後の再生を信じて遺体を保管するのって、もう4000年前からやってますよね。エジプトのミイラ。残念ながら、今の時代でも死者を生き返らせる技術は実現してないし、もし実現しちゃったら過去の偉そうな人ばかりが蘇生してなんか面倒くさそう。

おとぎ話や怪談的な「死後の世界」ではなく、僕らが死んだ後の「未来」がより良い世界になる事を僕は願ってます。



by t0maki | 2016-02-10 23:49 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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先日、アルツハイマー病を扱った『STILL ALICE』っていう映画を観て感想を書いたけど、多かれ少なかれ、歳を重ねるごとに、病気じゃなくても記憶や知識は少しずつ確実に失われてくんだよなー、とか思うと切なくなる。

僕の好きな小説で、知的障害者が医学の力で素晴らしい頭脳を手に入れて、ものすごい勢いで頭が良くなるっていうストーリーの作品があるのですね。知ってる人は、タイトル書かなくても分かるだろうけど、ネタバレになるのであえて書かない。
で、その小説の中で一気に天才になった主人公は、知力のピークを迎えると、なす術なく元々の知能レベルに戻ってく、と。

一番最初にその本を原書の英語で読んだ時は、ちょうど僕も留学準備のために英語の勉強をしていて、主人公が知識を手に入れ、文筆力もめきめき向上してくところに共感した。ところが、留学を終えて帰国してから、しばらく英語を使うことができない状態の頃にその同じ本をを再読したら、今度は共感できる部分って、その小説の後半部分。蓄えた知識がどんどん失われてくとこなんだよね。
ちなみに、スペイン語版でも読んでみたことがある。一応僕は大学でアートとスペイン語を学んでて、アートで学位を取ったけど、スペイン語もあと2クラス受講すればそちらもダブル専攻にできるくらいには勉強してました。大学卒業後、ロサンゼルスで仕事をしてた頃も、あえてヒスパニック系の人たちが住んでいる、スペイン語が母国語みたいな地域に下宿してました。

そう、で、スペイン語。すっかり使えなくなっててびっくり。読みはじめても全然意味が入ってこない。スペイン語で簡単な詩を書けるくらいには習得してたはずなのに、今では動詞の活用系もよく分からない。

知識、特に語学は使わないと確実に失われてく。あんなにも苦労して学んだ言語が、あっさりと頭ん中からこぼれ落ちてしまって、学生時代に書いた自分のノートが読めなかったのもかなりショック。

記憶が失われていくのももちろん怖いけど、結局最後は誰でも死を迎える。遅いか早いかの違いはあれど、その終焉は誰も避けることができない。

で、だよ。今の自分を記録しておきたいと思うのですよ。何を見て、何を感じ、何を考えたか。将来、読み返すかもしれない。あるいは、書くだけで読み返すことは無いかも知れない。日々世の中で膨大に生み出される文章やコンテンツの激流をSNSなんかで触れてると、自分がこうして発信してるものなんか、どうでも良いちっぽけなものに感じるし、僕という存在が消えた後に誰かの心に残るなんてのも極めて稀なことなんじゃないかと。

それでも、書く。記憶を形にするために。今の自分を記録しておくために。

by t0maki | 2016-02-09 14:22 | 乱文・雑文 | Comments(2)

   
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