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カテゴリ:乱文・雑文( 743 )

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本当かどうかは分からないけど、悪質な訪問販売の業者たちは共通の暗号みたいなものを持っていて、押し売りでその家に来るとその家の住人のことを観察して、帰り際に玄関脇に「マーキング」してくんだと。その家が金を持ってるかとか、ガードが固いとか、セキュリティがしっかりしてるとか、ゴリ押ししたら落ちるとか。

それが本当だとしたら、多分僕の実家には「カモ」のマークが付いてたんじゃないかと思う。お袋が、金もないのにしょっちゅう高価なものを買ってた。音楽に全く興味が無いくせにレコードのクラシック全集とか。カセットテープ付きの学習教材とか。なぜか図鑑が2セットもあって、既に1セット買わされて持ってるのにも関わらず、「種類と対象年齢が違うから」って言われて、もう1セット買ったらしい。そんなに大量の図鑑があるのは、うちの他には図書館か古本屋くらいのもんだろう。一般の家には、そんなに図鑑ばかりたくさん揃えたりしない。

喘息やアレルギーに効くという高級羽毛布団を購入して、「無料洗濯サービス付きですので定期的に来ますね」って言ってた営業マンは、その後二度と現れることは無かった。その布団セットに何十万も払ったと思うよ。

なんでそんな押し売りに引っかかるのらたか。不思議でしょうがないけど、買ってるものを見てると、みんな子供のため、なんだよな。学習教材も、2セットの図鑑も、クラシックのレコード。羽毛布団も、小児気胸で入院したことのある僕のためだってのは分かる。分かるからこそ、そういう子を思う気持ちとか優しさにつけ込んでものを売りつける押し売り業者はヒドイと思う。買う方の自己責任だというのは分かるけど、いらないものを誇張や嘘で売りつけるのには、怒りを覚える。

押し売りとか、さすがに今はあんまり無いのかな。自分に必要なものだけをネットで手早く、比較しながら買える時代。インチキ羽毛布団を売る業者がいたら、その口コミが顔写真入りでネットに拡散するかもしれない。

うちのお袋がそのインチキ羽毛布団を買ったあと、近所の床屋に行ったら店主が大声でその押し売りがいかに胡散臭かったかを店内の客と話してた。そして、チラチラこちらを見て来るので、「あー、こいつはうちが布団を買ったのを知ってるな」と気づいた。おおかた、その押し売りが、「あの家で今売れた」なんてことを喋ったんだろう。

時代は変わったけど、人間の欲望とか金への欲求は変わらない。もっと巧妙な手口で、ものを売りつけて稼ごうとする。それが良いか悪いかというより、それが世の中の仕組みであり、人間の性なのだと思う。

もちろん、そんな人間ばかりでは無いけどね。ただ、正直で善良な人の家の前には、きっとみんなカモのマークが付いている。



by t0maki | 2017-12-07 10:28 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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水槽から落ちて、床の上で喘いでいる金魚。口を大きくパクパク開けて、必死で呼吸をしようとしている。

僕らはそれぞれ、自分の「居場所」がある。金魚が水槽の外では生きられないように、僕らもまた自分の世界以外では生きていくことができない。

Or, is it?  Can't we live outside of our world?  What is the world, anyway?  Is that a cage we live in?  Are we trapped in here. 

僕は、その金魚をそっと水槽に戻した。



by t0maki | 2017-11-23 00:01 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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ブログ歴はもう無駄に15年くらいはあるし、Web制作自体は来年でもう20年になる。大学卒業して初めての仕事は写真だったけど、それからはもっぱら72dpiの世界で生きてきました。

2010年から本格的にブログに取り組むようになって、昨年からは旅に力を入れつつ、でもそのベースにあるのはやっぱり「何かをつくる」っていう衝動なんだな。「日曜アーティスト」とか、「ハイパーインタラクティブコンセプチュアルアートクリエイター」とかいい加減な肩書きをつくって遊んだりもしてたけど、でも結局最近、最終的に収まりが良いのがライターとかフォトグラファーだったり。

一応これでも平日は会社員をしています。外資系のデジタルマーケティングの会社で、くるくる変わる肩書きをもてあそびつつ、割とまじめに仕事には取り組んでいます。で、会社帰りや週末などの自分の時間を使って、コツコツブログを更新して、なにやらつくってみたり、うっかり登壇したり、教えたり、いろんなところに首を突っ込んで飛び込んで、楽しんでいます。

僕は子供の頃、「将来、大きくなったら何になりたい?」って大人に聞かれるのが苦手だった。だって、世の中にはいろいろな職業があふれているし、まだまだ僕も知らない仕事ばかりだし、仮になりたいものがあったとしても僕はその職業の本質をまだ知らない。その質問をしてくる大人も、本気で聞きたいってわけではなく、なんとなく子供との会話の常套句みたいな、軽い気持ちの問いかけに過ぎないのは分かってる。要はそんな質問に答えるのが「めんどくせー」わけです。てきとーに「宇宙飛行士」とか答えてた気がする。

「ロサンゼルスの宝石デザイン会社で広告写真の仕事をしたいです」とか、「Webデザイナーとして多国籍企業のサイトをつくりたい」「モバイルコンテンツプロデューサーとして携帯電話向けの電子書籍や待ち受けをつくりたい」とか、「外資系のデジタルマーケティングの会社でプロジェクトマネージメントを担当したい」なんていう考えは全くなかったし、そもそもそんな職業が将来存在することすら予想していなかった。全て、成り行きときっかけ。たまたま、進む道の先にそれらの職業があったというだけ。Googleで仕事をするなんて、子供の頃にはまったくその価値も中身も分からなかったしね。

そんな意味で、つくづく人生って不思議だなと思うわけです。



by t0maki | 2017-10-17 21:55 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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今年の夏は、「定時退社でビアガーデン」に行きましたよ。
六本木の高級ホテルで、昭和をテーマにしたビアガーデンとか。
東京ビアガーデン情報館の和田さんとご一緒させていただいて。
あれは面白かった。

あのビアガーデンがきっかけで、「鉄道魂」のライターをやらせてもらったり。
鉄道好きの知り合いも誘ってね。

なんかこう、ちょっとしたきっかけでいろんなことが繋がっていく感じ。こういうのがあると、本当にブログをやってて良かったなぁと思います。もっともっと、いろんな人を紹介して、繋げちゃえ!とか、お見合いを勧めるおせっかいな親戚みたいな心境ですが。でも割と本気に。

「すごいなぁ、この人」っていう方が、周りにたくさんいるんですよ。
そういう人たちが、どんどん自分のフィールドで活躍していくのを見ると、お手伝いしたいなと思うわけで。
まぁ、手伝ってるのか邪魔しているのか分からないですが、それなりにいろいろやっては来たので、今後は周りの人たちもどんどんサポートしたいな、と。

そんな、おせっかいおじさん。




by t0maki | 2017-10-17 21:13 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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損得関係なしに、なんかこう、心の奥の方から湧き上がってくる欲求があって、やってみたい、やるしかない、やらずにはいられないみたいな感情の赴くまま、気づいたらここにいた、みたいな。結構みんな、そんな感じなのかもしれない。がむしゃらに一生懸命で、捨て身で取り組んで、見返りなんて関係なしにひたすら努力を続ける。それを「輝かしい、素晴らしいことだ」と賞賛する人がいる一方で、「良いカモだ、利用してやれ」くらいな心根の人もいて。

別に、後者だから悪いってわけでもない。だってそういう風な取り引きで成り立ってる世の中だから。それでも、そんな相手に対してさえも、一生懸命になれるかなれないか。「タチ」っていうものなのかも。性質の、「タチ」。

「そういうタチなんですよ」ってこと。

やらずにはいられないこと。やっていると幸せな気分になれること。それがたとえ、逃避であっても良いじゃないか。捻じ曲がった承認欲求だって構わない。ドライブするモチベーションはなんであれ、進み続けること。

目の前のことに、本気で取り組む。それが、どんなにくだらないことでも。いやむしろ、くだらなければくだらないほど、本気で取り組むのが良いのかも。きっと何かしら、次に繋がる自信になる。

よくわからないけど、なにかしら人生の岐路に立っているような。そんな気分。



by t0maki | 2017-09-28 23:12 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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会社帰りに、日本橋あたりを歩いていた時のこと、偶然鉢合わせした馴染みのおじさんが声をかけてきた。
「よ、久しぶり」と、いつもの人懐っこい笑顔。「会社帰り?」
「はい、ちょっとウォーキングがてら。青山の方から歩いてきました」と、スニーカーを見せながら僕は答えた。

このおじさんとは飲み仲間で、5年以上の付き合いになる。最初の出会いは、北海道の余市で。アサヒビール社の主催で、ニッカウヰスキーのイベントに参加した時のこと。このおじさんも含め、20人くらいで「マイウイスキーづくり」を体験したのだ。お酒が好きなおじさんで、飲みながらウイスキーにまつわるいろんな話をしてくれた。それ以来、僕もウイスキーがすっかり好きになった。

「青山って、銀座の向こうの?随分歩いてきたねー」
「100日間で100万歩を歩くってのをやってまして。昨日あまり歩けなかったので、今日は少し長めに歩こうかな、と」
「へー、面白いことやってるねー。どう?達成できそう?」
「今やっと、もうすぐ4分の1くらいです。あと、2ヶ月ちょっとあります」
「そっかー。じゃ、今夜は飲めないね?」と、おじさんは残念そうに言った。

「飲みたいんですけど、また今度にします」と、僕は答えた。ホントはウォーキングよりもおじさんと飲みたかったが、おじさんの前で僕はちょっとかっこつけたかったのかもしれない。

「おぅ、じゃまた飲もうぜ」と、片手を口の前でクイッと傾けて、酒を飲む仕草をするおじさん。
「ハイ。ぜひ!」と言って、僕はその「おじさん」こと、ニッカウヰスキーの看板を後にした。


by t0maki | 2017-09-21 09:38 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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8月のブログ執筆数がたったの32本。かろうじて1日1本平均は維持してるけど、これは僕としてはかなり少ない方。
どんだけ少ないかと言うと、ここまで更新頻度が落ちたことは、ここ2年間で一度も無かった。1月から6月の月間平均は60本なので、だいたいその半分くらい。

いろいろ理由はあるけど、たまたまそういう時期なんだろう。アウトプットよりも、インプットが大事な時期があって、そのうちまた文字にして吐き出したくなる時が来る。

数を書こうと思えばいくらでも書けるけど、それが自分の言葉であることが大事。

書こうと思った言葉たちが文章として定着せずに、空中に四散していく感じもあったりして。なんかうすぼんやりと霞がかってて、とらえどころがないところで書きかけのまま止まってたり。

もうちょっと、しっかり言葉と向き合いたいな。そろそろ、ね。

by t0maki | 2017-09-06 23:31 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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Not fast enough.
I'm not fast enough at all.

もっと早く。もっともっと早く。

時間が全然足りない。

もっと、もっと早く。

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なんかあれだな。ショートカットできる方法を考えたりもしたいと。速さにも限界はある。効率よく。時には割り切って切り捨てる。

バッサバッサいくかね。

どうする?

by t0maki | 2017-09-01 00:03 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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PRの本当の意味がなかなか浸透しないのは、日本語では「PR」がなんだか「アピール」と同義語みたいな感じになっちゃってて、「自己PR」なんて言葉もあるように、どうも本来の言葉の意味が分かってもらえてないからじゃないかな、と。

広告は、ADなわけですよ。Advertising(アドバタイジング)のアド。だから、僕は自分のブログで広告的な記事を書くときは、記事の冒頭に【AD】をつけてる。(もっとも、このルール決めは記事広告を発注する側が指定することもあるので、もしも「【PR】って記述をつけて」って言われればそのように書きます)

広告(AD)は、お金を出せば掲載される。テレビコマーシャルとか、新聞の広告欄とか、雑誌の記事広告とか、ネットの広告欄とか、広告枠を使って告知・宣伝をするわけですよ。

広報PRはちょっと違う。ニュースになりそうなことや、取材してもらいたいことなど、いろんな企画をつくって、時にはプレスリリース(これも略してPRだからややこしい)を出しつつ、メディアに取り上げてもらおうと努力するってこと。

情報番組とかで、「この夏のイベント」とか、「今話題のスウィーツ」「注目の新製品」とかの情報をテレビで紹介してたとしたら、それは「PR」の力なわけですね。面白い製品プロモーションがテレビで取り上げられたり、ネットで話題になってたりすると、「あの会社の広報PR担当の人、頑張ってるなぁ」、と思うわけですよ。

一方で、AD広告の方は、いわゆるCMや広告欄を使って、限られた予算の中でいかに成果をあげるか、ということに注力するわけです。メディアから取材を受けるのではなく、メディアにお金を払って広告枠にCMや広告を出すわけです。

大企業は、広告費をたくさんもってる。もう、桁外れの金額を広告に投入するわけですよ。一方で、PRは大企業も中小企業も、満遍なくみんなが行ってる。広告ほどの予算格差は、あまりない。

ってことを頭に入れて、さて、自分のブログに広告記事を書くときに、【PR】と入れるか【AD】と入れるか問題。よくテレビで、「この番組の提供は」っていう感じで、番組制作にお金を出してくれたスポンサー企業の名前を出すでしょ。あれは、広告だから、【AD】なわけです。だから僕も、広告記事を書くときは【AD】って入れる。

一方で、たとえば日曜朝のブランチの時間にやってるような情報番組が、この夏オススメのスポットなんてのを紹介するとき、わざわざ【PR】なんてテロップは出さない。取材するにあたって、企業側にいろいろ協力してもらって、プレスキットとかサンプルとかもらってたとしても、それは広報(PR)であって、広告(AD)とは明確に異なるもの。

なんとなく、分かります?

だから僕も、メーカーさんのイベントに参加したり、新商品発表会とかプレス向けイベントに参加しても、わざわざ【PR】って書かないことが多い。ま、仕方なくギリで参加したりとか、あるいは商品をもらったりとか、これはPRって書いといたほうが良いかなって時には、書くこともあるけど、無報酬の場合は広告ではないから、たとえ広報の人にご招待いただいたとしても【AD】とか【PR】とか書かないことが多いです。

僕が言いたいのは、ADとPRは違うものだし、お金をもらって広告記事を書くのであれば、それがネイティブ広告だろうが、モニター記事だろうが、イベント参加だろうか、それは全部【AD】じゃねぇの?と思うわけです。タイトルに、【AD】って入れておくのは正しいと思う。

ついでに言うと、僕は広告記事できちんと報酬をもらった時の方がきちんとしっかり気合いを入れて書くよ。きちんと、報酬を前提にした予算を使って、記事を書くためにお金もかける。むしろ、広告記事の方を期待して読んで欲しいと思ってます。

そんな広告記事の一例。
http://tomaki.exblog.jp/26492662/
缶コーヒーとの相性が良い食べ物を探して、いろんな食べものを買って、実際にコーヒーと一緒に食べてみたっていう記事。

こんだけADとPRの違いを力説しておいて、リンク先の記事タイトルが【PR】になってるのは、記事を依頼されたときにそのように指定されたから。大丈夫、そこらへんすごくフレキシブルですから、僕。




by t0maki | 2017-06-09 00:00 | 乱文・雑文 | Comments(0)
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朝の通勤列車。電車の扉が閉まる瞬間、何気なくホームを見ていたら、大学時代の友人を見つけた。20年前に親しかったその友人は、当時と全く変わっていない。いや、むしろもっと若く見えた。

人違いだってのは分かっている。

疲れてくると認識力が低下して、すれ違う人がみんな知り合いに見えてくる。むしろ、そういった現象が多くなってくることで「あ、疲れてるな」っていうバロメーターにもなる。こうした、極度の疲労による認識力の低下で現れてくる症状としては、幽体離脱も。別に、本当に霊魂が肉体をさまよい出るわけではなく、単純に感覚と認識との差によって起こる単純な仕組み。どういう風に起きるか説明すると、視覚も含めた五感からの情報と脳の処理能力にギャップが生まれることで、歩いているときに自分の肉体が感覚を追い越して先に歩いていってしまい、取り残された自分の精神が数メートル後からついてくるような感覚になる、と。自分の精神が、自分の肉体を客観的に見つめている。

もうひとつ、僕がロサンゼルスでホームレス生活をしていた頃に、「良いことと悪いことが交互に起きる」っていう不思議な現象を体験したんだけど、これもまた極度の疲労とストレスによる単純な記憶のトリック。何か良いことが起きると、自動的にそのひとつ前に起きた悪いことが記憶に定着し、その二つの出来事が繋がる。次に悪いことが起きたときは、その前に起きた良いことと繋がる。悪いことが二度起きたときは、ひとつ前の悪いことを飛ばして、その前の良いことに繋がる。逆もまたしかり。そうすることで、良いことと悪いことが交互に発生するという錯覚に陥る。

人間の認知力って、意外とあいまいなんだなぁ、と思う。単純なトリックにひっかかるし、ちょっとしたことでもだまされる。ある時はすごく明晰で回転も速いけど、集中力が切れてくると散漫になり、油の切れたギアのように軋みだす。ちょっとしたことが思い出せなくなったり、放心状態になったり、へんな思い違いや錯覚にとらわれたり。

あと、すぐに忘れるよね、人間って。記憶の仕組み、どうなってんの?って感じ。妄想したり、夢を見たり。感覚をフルに使っていろんなものを感じ取っていたかと思えば、次の瞬間には全てを拒絶して自分の殻に閉じこもってしまったり。

大学に入学した当初は、人類学を学ぶ予定だった。ヒューマンエコロジー学科って、なかなか面白そうでしょ?それが途中から、アートに傾倒するようになったのは、そちらの方がより深く、リアルに、人間について学べると思ったから。学問的というよりも、感覚的に、より人間の根源に触れられると思った。そっちの方が、よりしっくりとくる。だから、アート学部に転部した。

なんの話をしてたっけ?そう、認識力の話。

人間の限界なんて、意外とあっけないもの。寝食を忘れて何かに集中していると脳みそがだんだんオーバーヒートしていって、あっけなく限界を超えてしまうことがある。見えないはずのものが見えたような気がしたり、幽体離脱を経験したり、不思議な思考パターンに陥ったり。

そういうのも含めて、人間って面白いなぁ、と思うのですよ。陰謀説に取り付かれた数学者とか、夢と現実の記憶があいまいなまま錯覚を本物だと信じるようになった人とか、壮大なビジョンを作り上げて世界をコントロールしようとする人とか、思いやりの心が欠けたまま自分の欲望のままに利益を追求する人とか、想像上の「概念」としての存在を実際にあるものとしてとらえる人、たとえ話を実話だと信じる人、人間を観察しているという妄想にとりつかれている人、など。など。など。

何が言いたいかっていうと、今僕は先週ひいた風邪がなかなか治らず、ずっと仕事や作業に追われていて、かなり疲れているので、今の僕はかなり認識力が低下しているってこと。そんだけ。


by t0maki | 2017-06-08 20:52 | 乱文・雑文 | Comments(0)

   
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