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3回目のミュシャ展
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国立新美術館のミュシャ展。やっぱりすごいね。また見に行けたー。音声ガイドを聴きながらだと、また新しい発見があったりして、3回目の鑑賞もとても楽しめました。ヤンフスのこととか、ようやく理解した。

5/24から始まった人形劇の展示コーナーも良い感じ。プラハでマリオネットをつくったけど、実はまだ実際の人形劇を見てないんだよね。今度行った時は、観劇もしてみたい。

最後にもう一度、見にこられてよかった。 #ミュシャ展
最後にもう一度、見にこられてよかった。 #ミュシャ展


スラブ民族の歴史や文化、宗教観、戦争や人々の生活が等身大ですぐそこにあるような感覚。 #ミュシャ展
スラブ民族の歴史や文化、宗教観、戦争や人々の生活が等身大ですぐそこにあるような感覚。 #ミュシャ展


オーディオガイド、良いね。作品を見ながら説明が聞ける。ヤンフスのこととか、初めて知った。 #ミュシャ展
オーディオガイド、良いね。作品を見ながら説明が聞ける。ヤンフスのこととか、初めて知った。 #ミュシャ展


そんな展示。 #チェコ人形劇 #日本におけるチェコ文化年
そんな展示。 #チェコ人形劇 #日本におけるチェコ文化年


チェコといえば、マリオネット。 #日本におけるチェコ文化年 #チェコ人形劇
チェコといえば、マリオネット。 #日本におけるチェコ文化年 #チェコ人形劇


マリオネットたち。 #チェコ人形劇 #日本におけるチェコ文化年
マリオネットたち。 #チェコ人形劇 #日本におけるチェコ文化年

というわけで、ミュシャ展3回目の感想。

ミュシャが晩年に描いた「スラブ叙事詩」という、20点からなる絵画の連作。ミュシャ展で2回ほど鑑賞した後も、しばらくずっとその中のひとつである『ヴォドナャニのペトル・ヘルチッキー』という12番目の絵が気になっていたんですよ。戦争で亡くなった複数の人たちの死体が横たわり、その周りで嘆き悲しむ人が描かれている絵。オープン前日のレセプションで見たときは、ただなんとなくさらっと眺めて終わったのですが、2回目に見たとき、その絵の中心にいる女性と文字通り「目が合って」どきっとした。遠い異国の地で昔起こった戦争の光景を第三者的に美術館で見ていたら、突然絵の中の人物がこちらに向かって語りかけてきたような衝撃。ぐったりした赤ん坊を胸に抱きかかえるその女性は、何かを訴えかけている。ちょっと怖くなって、僕はその場を離れて次の絵画に進んだ。

あの女性の視線。そして、胸に抱えている赤ん坊は、はたして生きているのか、死んでいるのか。それがしばらくずっと気になってた。人によっては、「死んだ赤ん坊を抱えてる」っていう。テレビのドキュメンタリー番組では「生きている(と思いたい)」的なコメントをしている人がいた。

三回目、ミュシャ展を訪れたとき、再度この『ヴォドナャニのペトル・ヘルチッキー』という絵をじっくりと鑑賞してみた。

絵の中には、たくさんの死体が横たわっている。その皮膚の色は、明らかに血色を失った土気色である。その周りで悲しみにもだえる人たちの皮膚の色とは全く違う。皮膚の色で、生きているのか、死んでいるのか判別ができる!

ならば、その赤ん坊の皮膚の色は?生きているのか?死んでいるのか?

赤ん坊の皮膚の色は、あきらかに死人のそれとは色が違っていた。ということは、生きている!でも、明らかに血色が悪い。抱えている女性の皮膚の色よりも褪せている。かろうじて赤みを残しているが、明らかに衰弱しきっている。あるいはもう、今まさに命を落としかけているのかもしれない……。

そんな赤ん坊を抱きかかえた女性の視線が、絵を見ている我々に訴えかける。
この絵の副題は、「悪に悪で報いるな」。

悪を倒すための戦争。戦っているどちらの側も、自分が善だと信じている。悪を懲らしめる正義の鉄槌を下しているのだと。

悪を倒すための暴力。そしてその暴力に復習するための暴力。報復と復讐がとめどなく増幅して、暴力に対抗する暴力がしだいに膨れ上がっていく。その結果、たくさんの人たちが死に、これからもたくさんの人が死ぬだろう。

その、死にそうな赤ん坊を抱きかかえた女性が、僕らに訴えかけてくるもの。
戦争の愚かさと、悲しみ。死にかけた赤ん坊を抱きかかえるその女性の視線が、見るものの胸に突き刺さる。





by t0maki | 2017-06-01 08:01 | アート | Comments(0)

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