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「語り部」としての落語家さん
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ストーリーを未来に語り継ぐための「語り部」としての落語の役割について。

物語は、本来時代に合わせて可変するもの。骨子となるストーリーは変わらなくとも、そのディテールである背景の世界や小物、名前や地名、言葉遣いなどは時代に合わせて変遷していく。

ところが、活字の誕生で物語は文字として固定化され、時代や語り手の影響を受けずに、不変のものになってしまった。本として、あるいは映画やテレビのコンテンツとして、一度完成した物語は観客のフィードバックの如何に関わらず、変わらないものになってしまった。あくまで、作者が生み出したストーリー。そこには、民間伝承のリアルな物語の変遷は存在しない。

そこに、落語である。噺家さんが、自分の声と身振りで語る。その物語は固定化されているように見えて変幻自在。ストーリーの長さや語り口も変えられる。

コンテンツを再生する機械ではなく、生身の人間がその場に物語を現出させ、それを伝えるのだ。登場人物を演じて物語を伝えている間に、人間だからつっかえることもある。「ちょっと戻ってやり直して良いですか?」ってこともできる。あるいは、会場の空調が効かずに、着物の噺家さんが高座をビショビショにするくらい汗をかくこともある。それらも含めて、ストーリーなワケだ。(ちなみに、これは昨日実際に見かけたハプニング)

物語が進化するということ。観客に応じて、語り手がその話の流れをコントロールするということ。

今、「ストーリーテリング」について本格的に学ぼうとしている。小説を書いてみたいとも思うが、目的はそれだけではない。そこにあるストーリーを見つけること。そしてそれを表現するということ。その物語への嗅覚を鋭敏にして、自分でもストーリーを紡ぐことができるようになりたい。

知識として、さらに感覚として。
ちなみに、この文章にオチはない。


by t0maki | 2016-05-17 10:20 | アート>もの書き | Comments(0)

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