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「デザイナーのための美術史」が面白かった
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掲題のイベントに参加。文章書きかけだけれど、一旦この状態で公開。後半は、メモ書きのままだけどね。


▼デザイナーのための美術史 会場
本日の #デザイナーのための美術史 会場はこちら。


▼設備も整ってる
始まる前の会場。キレイな場所で、設備も整ってる。 #デザイナーのための美術史


▼主催は、Wenデザイナー黒野さん
黒野さんのコーディネートによる勉強会。すごい早さでチケット完売してたよ、このイベント。 #デザイナーのための美術史


▼美術史がまるっとぎっしりA3の紙に凝縮
この資料、すげー。美術史がまるっとぎっしりA3の紙に凝縮。これは勉強になる。 #デザイナーのための美術史


今回の佐藤好彦さんによる「デザイナーのための美術史」では、アートの歴史における表現の特徴を「抽象的(縄文的)」と、「感情移入(弥生的)」という軸で分類していて、非常に分かりやすく、壮大な美術史のうねりが理解できる、素晴らしい講義でした。

以下は、イベントに参加しながら、講義を聴きながら、けど頭ん中でいろいろ勝手に考えを組み立てつつ文章にまとめたもの。

さて。

余白や空間をひたすら埋めるために作品をつくるのって、いわば内向的な作業だと思う。いわば、修行みたいな。反対に、使う者・鑑賞する者の視点に立って、相手のことを思って作品をつくるのは外向的な制作。もちろん、作者が存在する時点で100パーセント外向きの作品っていうのはほぼあり得ず、作品の全体としてこれは外向きの割合が多い、とか、これは作家の内向きの個人的な要素が多いなぁ、となる。

僕は、この装飾ゴテゴテ見た目が奇抜な「縄文土器」と、すっきりシンプルで造形美のある「弥生土器」の違いを、「内向き」の作品と、「外向き」の作品という風に考えることもできると思ったのです。
一方は、自分の感情の赴くままに、作家としての感性に従ってつくった「内向き」の作品。そしてもう一方は、使い手のことを思い、自分の技術や感情をうまく制御しつつ、誰が見ても美しいと認められるものをつくる「外向き」の作品。

もちろん、どの時代でも両者のアーティストは存在する。使い手のことを思い、機能美を追求するデザイナーと、自分の考えや感情をひたすら作品にぶつけるアーティスト。ただ、傾向として、文化がプリミティブ(原始的)な状態では縄文的・感情的な作品が好まれ、文化が成熟すると弥生的

ゴッホ
フェルメールやレンブラント
ピカソ
デュシャンやジャクソンポロックは実は外向き
アンディウォーホルも

アウトサイダーアート、アールブリュット

日本の水墨画のコントロールは明らかに外向き。でもたまに沢庵とか、
若冲は内向き、と思うけど、どうなんだろ?それも、計算されたものなのかな。

村上隆さんも外向き

バスキアは、内向きだけど、スタイルとしては外向的でもある

ホワイトキューブでの展示を前提としている以上、ある程度外向き。ただ、感情を掛け値なく作品に託せるひとはいるにはいる。問題は、そういった人たちの作品が、後世に残るかどうかってこと。

エモーショナルな作風と、ディシプリンでコントロールされた作風。

オレのは、bits of bothでどっちでもない。

by t0maki | 2016-04-19 00:33 | アート | Comments(0)

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