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つんどくよんどく: ウォルター・ベンヤミン著『複製技術時代の芸術』
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あまりにも積読(つんどく)が増えてきて、読もうと思って手元にある本がもうちょっとやそっとでは読み切れない分量になってきたので、これはまるっと企画にしちゃって、本腰入れて読まなければなぁ、と。

というわけで、「つんどくよんどく」っていう企画を始めるでござる。

まずはこの本。




▼つんどく


芸術の複製について書かれたベンヤミンの本。

これから読むところなんだけど、現時点で芸術の複製について自分なりの意見をまとめておくと、「コピペほど単純ではないにせよ、昔から芸術は複製されてきた」と思っています。複製自体は新しいものでは無く、聖書の複製や仏典の写経などはずっと昔から行われてきた。
オペラや演劇など、ある程度台本に忠実に上映されるという点で、同じ作品を場所や日時を変えて何度でも上演・鑑賞できる、いわば複製可能な芸術。

とは言え、観客としての自分は、目の前にある演劇が複製だという意識はなく、それはそこに実際にあるひとつだけの芸術。観客の視点で考えてみると、「複製」という意味合いがちょっと変わってくるかもしれない。そして、「本物」とは?

近代での複製は、昔の伝承形式の複製とは異なっていて、デジタルコピーなど、データ的に劣化が少ない複製方法が生まれ、そしてインターネットを介して複数の場所に同時に現出することができる点が特徴だが、ベンヤミンの本が書かれた時代はもうちょっと古いので、まだそこまでは至っていないはず。

さて、そこらへんのことについてどんなことが書かれているのか、楽しみながら味わいながら読んでいこうと思います。

というわけで、「つんどくよんどく」っていうの、まず部屋に積んであるままの未読の本について、ブログで好き勝手に書いた後、実際にその本を読んでみてどうだったかを書くっていう、僕が勝手に考えた企画。読む前と、読んだ後とで、何が変わっているか。読前読後感想文みたいな感じ。


▼よんどく


さて、読み終わったところ。なんかね、文体がカタイのと、翻訳文ってことで、まぁ、読み解くのがムズイ。結局、「複製」の芸術としてもっともフィーチャーされてるのは、「映画」でしたね。トーキーが出てきた時代なのかな。まだいまのようなCGの技術はなかったけど、トリック撮影や、編集なんかは当時もあった。舞台と違い、映画では俳優は機械装置に向かって演技する。祈祷師と外科医が、画家とカメラマンの例えで使われてたけど、うーん。オペレーター、ね。

「アウラ」って言葉がでてくる。複製技術によって、芸術から失われてくもの、か。明快な説明も翻訳もないみたいだけど、僕はなんとなく、ここに「余韻」っていう言葉を当てはめてみたくなった。リアルな絵画なり舞台なりを見て、感動した時の余韻。これが、オリジナルと複製とでは異なってくると思う。「今」、「そこ」にある作品を見た時の、感動の後にやってくる「余韻」が、アウラかな、と思った。

うーん、まぁ、映画こそ、終わった時にめっちゃ余韻が残る芸術だけどね。それとはちょっと違う、目の前のリアルと「共鳴する余韻」、かな。

まぁ、なんだ。そんな感じ。
久しぶりに、ホント久しぶりに読書を堪能できて良かった。この、ひたすら文字を追いかけてって、頭の中でいろいろ紐解いたり紡いでいくような感覚。オレはやっぱり、読書好きだわ。

この企画、面白いんでも少し続けるぞい。



by t0maki | 2015-11-11 00:30 | ライフスタイル>映画・書籍 | Comments(0)

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