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911のあの日から12年
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2001年9月11日。僕は都内のWEB制作会社に転職し、ひとり暮らしを始めたばかりの頃で、まだ自宅にテレビも無かった。だから、ニューヨークの世界貿易センタービルで起きたアメリカ同時多発テロ事件を知ったのも、翌日出社してからだった。

職場にはアメリカ人も何人かいた。オフィスにテレビを運び込んで、ニュース番組を流しっぱなしにして、なんとか現地の状況を理解しようとしていた。僕は仕事をしながら、ブッシュ大統領の演説を聞くともなしに聞いていたら、突然なんとも言えずもの悲しい虚無感に襲われた。

なんか、とても悲しくなったんだ。こんな風に、たくさんの人を道連れにして自爆テロを起こすような「人間」っていう生き物は、この世に存在する価値なの無いのかもしれないって。世紀末を乗り越えて安堵してたけど、ホントは滅びるべき生き物だったのかもしれない、とか。何かとてつもなく申し訳ない気持ち。謝りたいような、誰かに許しを請いたいような、とにかく……。うまく説明できないけど。

主義とか、主張とか、命の重さや宗教とかそんな理屈はとにかく、こんな事件を引き起こしてしまった僕らには、存在する価値が無いように思われた。

それが、僕が覚えている、2001年9月11日から翌日にかけての思い出。

 * * * 

今年の1月、生まれて初めてニューヨークを訪れました。
そこで初めて、世界貿易センタービルの跡地と、そこに建設中の建物を見に行ってきました。
警察官や、消防員など、救出活動に参加し、命を落とした人たち。
悲しい事件の後に、様々な支援が寄せられたこと。損得関係なく、私利私欲抜きで、助け合いが生まれた。
こんな蛮行の後で、それを補うように優しい思いやりの心を持った人たちもいる。

それが、人間の本質なんだろうな、と。
善悪の両方が共存している。憎しみや殺戮の一方で、いたわりと助け合いが存在する。

そういうのを見ると、まだまだ可能性は残っているように思えるんだ。
僕らみんなが、幸せになるために。その権利を勝ち取るためにいつか努力が報われる日が来て欲しい。それは僕らの死後の世界かも知れない。僕らが死んだあと、現実の未来に実現するべきユートピア。

巨大な振り子のイメージ。片方には「テクノロジー」、そしてもう片方には「ヒューマニティ」。

その振り子は、もう既に折り返しはじめている。そんな気がする。

by t0maki | 2013-09-11 12:00 | 乱文・雑文 | Comments(0)

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