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「アート」について思うこと【What for?/So What?】
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前回の「アートのための英語塾」で、諸般の事情で宿題をサボってしまって、プレゼン資料を作る余裕がなくって当日いきなりホワイトボード使いながらぶっつけ本番でプレゼンしたんですね。しかも、英語で。いやぁ、なかなか伝えたい事が伝えられなくて参った参った。
あんまりうまく伝わらなかったと思うので、ブログにまとめます。

プレゼンの議題は、「アートって何?」というもの。
のっけからしてこの突き抜けて広大なトピックは、既にプレゼン大失敗の予感まる出しですよね。こんなの即興で、しかも英語で伝えられるかっていうの。
(トピック決めたの自分ですが何か?)

僕は、こんな風に考えています。
まずはこの二つの疑問。

「What for?」と「So What?」

「何のため?」と、「だから何?」っていう問いかけ。

前者は実用性と利便性に関する問い。
で、後者は作品の意味やコンセプトに関する疑問。

「What for?」っていうのはアート作品に対してはあまり意味のない問いかけだと思います。
そもそも、アート作品というのは、何かの直接的な役に立つための道具である必要はなく、何かの機能を持たせなければならないものではないから。コーヒーカップの形をしていても、全然コーヒーが飲めないような物体でも、全然アートとしてはOK。むしろ、あまり実用性のない奇抜なものこそがアートって思われる節もあったり。

でも、「So What?」って言われてしまうのは作品として失敗だと思うんです。
「だから、何?」「何を伝えたいわけ?」「全然何も伝わらない」
意味が分からないとか、コンセプトが不明って言う作品は、アウトだな、と。

問題は2種類あります。

1.そもそもアーティストがコンセプトを持っていない
なんとなく作ってみたとか、そんな感じ。伝えるべきものがない。からっぽの作品。

2.観客が理解できない
なんか、コンセプトが伝わらない。手がかりが少なすぎるか、あるいはアーティストのメッセージが個人的すぎるなど。難解。

アーティスト側の問題と、観客側の問題。
アーティスト側ではきちんと考えて作っているのに、観客には伝わらないことがあります。その場合、「観客のレベルが低いから」って考えるのは間違っていると思います。
別に、分かりやすく作れと言ってるわけではないし、アーティストの個人的な経験なんかを反映するのはありだと思いますが、全く伝わらないのは問題かな、と。
そこに、アーティストと観客をつなぐ「キュレーター」の役割があるのではないか、と思います。作品をきちんと理解して、観客に伝えられるようにすること。

「アート」って、なんだか「分かる人には分かる」けど、「分からない人は分からないまま」みたいなところがある気がします。このままでは、どんどんアートが人を寄せ付けない「閉じられたもの」になってしまうような気がするんです。それではちょっと寂しいな、と。

個人的な意見ですが、アートって別に難解なものである必要はないし、いつでも新しいものや奇抜さを求めるものでなくて良いと思います。もちろん、そういう作品はあっても良いと思うし、優れた作品は評価されるべきだとは思いますが、だからといって趣味の作品はアートじゃないとか、目新しさがないとか、技法が古くさいとか言って、作品を否定するのはどうかなと思ったりします。同じアートに関わる人間同士が、お互いの作品をけなし合ってるのって、アートに関係ない人が見ても、あまり良い気はしないなって。

もっと気軽に多くの人がアートに触れるために、キュレーターがもっともっと活躍できる場が増えてくると、アートも閉じられたアートコミュニティだけのものでなく、もっと文化として広がっていくのではないか、と。

英語のプレゼンでは多分この10分の1も伝わらなかったと思うけど(このブログでもうまく伝わったか分からないですが…)、とりあえず、自分の言いたかったのはこんなところです。

「これがアートである」みたいなお仕着せの作品だけでなく、観客の視点で「あぁ、これってアートだな」って思って、何か感じるところがあれば、それは作品として価値のあるものじゃないかな、と。解釈の仕方なんて、正直ひとそれぞれで良いと思います。ただ、キュレーターはある程度アーティストと観客の架け橋になって、方向性を見せてあげられれば。

なんかうまくまとまってないですが、そんなことを、なんとなく考えています。

by t0maki | 2011-12-12 22:49 | アート | Comments(0)

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