消費社会と広告


 金持ちや貴族が自己顕示欲求を満たすために芸術が存在している時代があった。絵描きがポートレイトを描き、彫刻家が彫像を仕上げ、詩人が称える詩を書く。「マスター」が工房を開き、多くの職人や弟子を抱えていた。
 
 現代でも、同じような構図で日々多くの作品が生み出されている。もっとも、現代の世の中では、パトロンの役割を果たしているのは「企業」であるが。一つの広告が制作されるためにプロジェクトチームが結成され、それぞれの分野のエキスパート達が仕事をこなす。ただし、ここで称えられるのは企業そのものよりも、海外から上陸した高級RV車であったり、食品加工製品であったり、新発売の掃除機であったりする。
 
 僕たちは今、「消費社会」と呼ばれる社会の仕組みの中で生活している。ここでは消費は美徳とされ、その消費を継続するために人々は収入を得て、巨大流通機構の中で多かれ少なかれ「消費者」という立場にいることで人格を保持している。名前、年齢、性別とともに、「職業」がその人となりを判断するのに欠かせない要素であり、「成功」の度合いは「年収」の高低で計られたりもするのだ。
 
 利益重視のマーケットで、製品のより良いイメージを消費者にアピールするには、「広告」が必要不可欠である。製品の本質を伝える必要はない。ただ、製品をより魅力的に見せ、消費者の購買欲をくすぐればよい。
 
「こんなに高機能で、しかもお手ごろ価格」
「ニューモデルは、これまでと全く違います」
「うちの製品は、国内シェアナンバーワンです」
「さぁ、今すぐ店頭へ」
 
 今日もまた、消費者を惑わし、クライアントを喜ばせるために、見栄えだけで中身の薄い、はりぼてのような広告が次々と生み出されている。
 その中には、僕がデザイナーとして参加した、いくつかのオンライン広告も含まれている。
 もし僕が今、ウェブデザイナーとして本当に充実した仕事生活を送っているなら、こうして「日曜アーティスト」と称してささやかな創作活動で自分を発散させたりはしていないだろう。しかし、だからといって、今の僕にはどうすることもできない。
 
 僕はただ、巨大な工房で働く一人の職人に過ぎないのだから。
by t0maki | 2005-04-30 23:34 | Comments(0)