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夏目先生と自分探しのショートトリップ
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気がつくと、もうすぐ夏目漱石先生が最初の本を出版した年齢に追いついてしまうのだな、と、しみじみ。自分もなにか、新しいことに挑戦したいな、と、今年の目標もそんな感じにしてますが。

さて、「文豪たちの東京めぐり(夏目漱石編)」という東京メトロのスタンプラリーに今回一人で勝手に挑戦してきましたのでその記事を。

一日乗車券を買って、ケータイからライブ実況しながら都内をあちこち散策しました。

TwitterのログはこちらのTwilogにて。

しばらくずっと、ここ2ヶ月くらいケータイのモニターレビューを続けていて、自分の中でも生活や心境の変化がいろいろありました。そんなこんなを整理しつつ、自分を見つめなおすための小旅行でもあったのですが、スタンプラリーしながら考え事するのって、結構難しいですね。っていうか、そこはかとなく旅情に浸りつつ自分探しの旅をしたいなら、スタンプラリーはまずムリ。ツイートで実況しつつナビで行き先確認しつつ、乗り換えの連続なんかをしていたら、あっという間に一日が終わってました。……ま、それはそれとして。


突然話はさかのぼって小学6年の夏、突然肺が破れて僕は入院したことがあります。小児気胸っていうもので、一過性らしいですが息を吸っても空気が入ってこなくて、ホント死ぬかと思いました。なんとか一晩持ちこたえ翌日から一週間ほど入院。その時見舞いに来てくれた友達が持ってきてくれた本の中に、夏目漱石先生の『坊ちゃん』がありました。
僕が本当の意味での「文学」に出会ったのは、この本かな、と思います。「うらなり」という言葉の意味が分からなくて、辞書にも載ってなかったのでしばらくずっと気になっていたという思い出が。

昔から、本を読むのが好きな子供でした。高校は一応進学校でしたが、図書室で本を借りて読むのと、陸上部で短距離を走るのだけが目的で通っていたような……。図書館の貸し出しカードに本のタイトルを記入していくのですが、書く欄がなくなるとカードを継ぎ足していく方式で、そのカードの分厚さを友達と競ってました。
高校時代、当初卒業後は特に何も自分の意思がないまま、「皆が進学する」という理由だけで国公立大学進学を目指していたのですが、高3最後の国公立模試で校内トップを取ったのを機に、受験勉強をすっぱり止めました。突然発作的にアメリカ留学をしよう、と決意したためです。海外経験もなく、英語が一番嫌いな科目だったにもかかわらず、よくそんな道を選んだなぁ、と。若さゆえの一見無謀な決断でしたが、当時の自分としてはそれが一番自然な進路に思えたので。今振り返っても、あの時の判断は間違ってなかったと思います。

僕は、読書から多くを学びました。単なる知識だけでなく、人間として非常に大切なものをたくさん本から受取りました。だから、「受験勉強中は本を読むな」と言われたのは、何か本末転倒だと感じて、納得がいかなかったというのが理由のひとつです。受験英語は大嫌いでしたが、英語自体は好きだったので、その後語彙辞典読破から始めてみっちり英語の勉強に専念し、翌年渡米留学。
留学のための出発当日、アメリカ行きの飛行機に乗ったのが、実は僕にとっての海外初体験でした。あまりの緊張に飛行機の座席に一度座ったきり、到着までの約10時間一度もトイレに行けなかった、というのは今だから話せる笑い話。

さて、アメリカでの生活で困ったのは、英語だけの生活の中で時折訪れる活字中毒者特有の「活字禁断症状」。どうしても日本語の本を読みたくて仕方がないのですが、手持ちの本は既に全部読み終わっていて、友人から借りられる本も限られている中、もちろん本屋に日本語の本なんか無いワケで。なので、日本に一時帰国をした際に、古本屋で手当たり次第に文庫本を買いあさり、ダンボールいっぱいに積めて空輸しました。が、結局それも数ヶ月であらかた読みつくしてしまい……。
禁断症状がひどくなると、日本語だからという理由だけで図書館の片隅に眠っていた、自分の専攻とはまったく関係ない資料や論文まで読み漁ったということも。

大学はネバダ州のリノという街だったのですが、卒業後は職を求めてロサンゼルスへ落ち着きました。そこはさすがに日本人もたくさん住んでいて「リトル東京」もあるくらいの街なので、普通に日本語の本屋さんもいくつかあり、その頃古本屋で投売りしてた日焼けで変色しきった単行本を大量に購入したなかに、夏目先生の旧仮名遣いの『彼岸過迄』がありました。当時僕は、現地で知り合った人のツテで引退したメキシコ系移民の老夫婦の家に居候してました。週末、ラテン系の音楽が流れるコインランドリーで、洗濯待ちをしながらスペイン語に囲まれてこの本を読んでいるとき、なぜか「高等遊民」という言葉が刺さり、本来の意味は上流階級で不労所得を得て働かずに趣味に生きるというよろしくない側面もあるようですが、「ただ遊ぶだけではなく、高度に知的に遊ぶ」というところに強く惹かれたのを覚えています。そんなワケで、僕が1998年に初めて取得したWEBメールのアカウント名は「kotoyumin」にしました。

今回の夏目先生の足跡をたどる都内散策の前日まで、僕は「ケータイ会議」という最新ケータイをブログでレビューすると言うモニターイベントに参加していました。2ヶ月間、一日も欠かさずブログ記事をアップしていく中で改めて再確認したのが、僕はやっぱり自分でアイデアを出しながら企画を考えて実行したり、ものづくりをしたり、書いたりするのが好きなのだなぁ、と。
60個以上レビューを書いた中で、何回かに夏目先生の文章を使用させていただきましたので、今回の夏目漱石スタンプラリー参加とお墓参りは、そのお礼と報告の意味もこめて。

平日のWEBプロデューサとしての仕事に追いまくられる中、「高等遊民」に果たしてなれる可能性があるかは微妙ですが、今後も「日曜アーティスト」として、本気で遊びの企画を実行していきたいと思っています。

by t0maki | 2011-01-21 23:56 | 乱文・雑文 | Comments(0)

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